いのち
ロームシアターのコンサートで「いのち」を経験させていただき、以前にも増して生きる事を考える日々です。いだきしん先生の生命と交流し「いのち」を実感する。この経験以外に、いのちを実感し生きる事そのものを喜ぶことはできるのだろうか、とついと思ってしまいます。何によってあるのかと、、あるのだろうか?たとえあっても、刹那的であったり、そこそこの幸せ感だったり、パターン化された喜びだったり、、、と、こう書くだけで自身は虚しくなります。いだきしん先生の生命と交流し、いのちの感覚を取り戻す事に比べると、交流する事なく生きる事は、天と地程の違いです。この天と地程の違いを、それは、死から生へ蘇る程の違いを、伝えきれない私はついと情けなくなりますが、それでもいのちは高次に留まっていて、愚直に、愚直に伝えようと、思い直します。今は針の穴ほどの細い平和への道を、広げて行く気持ちには成っています。空間を明るくして下さり、この中で、自身の「いのち」が全開し平和実現に貢献できる事を望みます。