いのちひとつで生きた温もり
本日は、仙台コンサートをありがとうございました。
お電話し、DMを発送、または直接伺ってお手紙をお渡しし、フォローのお電話をし、沢山の方をお誘いしましたが、コンサートにお連れするまでには至りませんでした。存在の現し方が半端なこと、自分が怠け者であることが明らかに分かりました。
そして、なぜ、存在を現すのを怖れるのか、と考えた時、「魂が無いから」と分かりました。
そこで、魂中心で生きられるようになりたくて、先日の高句麗伝説のオンデマンドを昨日視聴しました。
闇が襲いかかり、高句麗が分断され、離れ離れになった時の詩に
「いのちひとつで生きた温もり、愛は、高句麗魂とし、身に宿り続け」
とありました。
お腹の底から熱いものが湧き起こり、胸から「いのちひとつで生きる温もり」を恋しがる気持ちが溢れました。
本日の仙台コンサートでは、始まる前から、温もりを恋しがる気持ちと、同時にコンサートでそれが叶う喜びとで胸が震えていました。
始まって直ぐに、全身に温もりを感じ、涙が止まりませんでした。
今朝、新聞一面に、ウクライナのマリウポリの「製鉄所の部隊降伏」との記事を目にして、悲しくなっていました。その事を思い出し、コンサートの伝搬力を身体で感じ、祈りました。
いだきしん先生が、神の現れを表現されていると感じました。
いだきしん先生の表現により、体内に働いたパワフルな働きを、ちゃんと覚えておきます。
そして、そのいのちから外れず、「いのちひとつで生きる、温もりある社会実現」のため、コンサート動員活動を続け、怠け者から抜け出します。
ありがとうございます。
高橋陽子