いのちのはたらき 発露
府中の森でのコンサートの前に、話をしたかった方に新宿駅でバッタリと出会いご一緒しました。いちごミルクのような鮮やかなマーブリングのシャツは、大勢の中でも目に入り、存在がクッキリ美しく在りました。彼女始めさまざまな人に助けらていると感じました。
一部のメッセージにある、体内環境、このにもいのちのちからがはたらいていることを考えていました。健康法や美容法などどんなに尽くしても効果がないと感じ始めた矢先のメッセージでした。パイプオルガンはまるでスペインサンチャゴコンポステーラのように、なんというのか、、神の演奏でした。そしてピアノの音色は透明でどこまでも高く響き身体に入ります。渋谷コンサートもそうでしたが、人の鋭い意識がないのはこんなにも身体が楽なのかと改めて感じました。敵意に近い意識は鋭く身体に刺さります。それを防御するかの様に自ずとどこか力が入っていた状態がわかります。視線を含む意識は痛かったのですが、今はそれもなくなりそのままの演奏を聴く事ができました。
ありがたい、素直にそう感じました。そして先生の演奏をそのままわかりたいと切望しました。解釈でもなく誰かの評論でもない、高麗さんがそのままわかるように、可能な限り演奏をそのままわかりたい。演奏を聴きながら、人間中心、どこまでも自分勝手な自分を含む人間を想い、人間は悲しいとも感じていました。しかしその想いも解消し、美しい演奏に美しい光景が浮かびあがります。表現がもどかしいくらいに美しくかわりました。
第二部のメッセージ、発露、の意味は分娩の際の赤ちゃん誕生からきているのを知りませんでした。転じて、隠していたものが現れる事、人間の本来性が現れる前に本来性を隠しているものが現れる、とは。悪事を働いている人には発露は嫌な言葉かもしれませんが、発露とはいのちの働きなのでは、と考えました。どこまでも人間のいのちへのはたらき、一見ネガティブな事象も自他ともに解決するための発露、その後に人間の本来性が現れるのでしょうか。
コンサートはやさしい。いのちのはたらきを演奏で表してくださり、一人一人のいのちにはたらきかけてくれました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。