いつも即興 そこから開く花
呆然とすることがいくつかあってたじろぐ、恥ずかしい未熟者であります。
修行いっぱい来てくださり感謝です。
押忍。
今日はコンサートありがとうございました。
あたらしい音
馴染めない身体があり
アタマが邪魔していました。
大変な縛りの世の中で
生きる人々の影響もあります。
久々にがちがちの日蓮教徒にも会ってしまったし。
演奏中に、日蓮さんてコンサートに行くなとかそんな偏屈なこと言うような人じゃないですよね、とか、何とかしてよ、この信徒状況、と日蓮さんに投げかけてしまいました。
もう世界中のあらゆる指導者、総懺悔してほしい気持ちになってしまった。
そして、雑念はいかんと、自分も反省して何度も音に立ち返る有様でした。
指導者も懺悔ですが、下々の自分も懺悔です。
アタマ、そのものが 懺悔です。
あたらしい音は
いつもほんとうに即興
何もない所から生まれる
その場で生まれる
どんな音が生まれるのかは常に想像もつかない
そのことの連続で 道ができていくのは
未経験なのだと実感し、
その時少しでも不安があったらそれは愛がわからないからなんだと
思わざるを得ませんでした。
しかし多少の不安がかすったとしても、未知の新しいことばかりの
この世界で生きていくのはもう決まったことです。
先生の演奏は
どんな音も
愛以外の何ものでもない
先へ行く以外の何ものでもない
先へ行かないことだらけのこの世の中に咲く
大輪の花
聴かせて下さり
本当にありがとうございます。