いつでもいまから
春の花が咲く季節に、月の初めに
講座、コンサートがあり、
身体が変われる機会を得られ
本当にありがたいです。
京都の存在論の中で、
「心配心配心配と、大切な人ほど心配するんだよな」というお話しから、私の今の状態がまさにそうなんだと分かりました。
自分がどうしても居心地が悪くてできなかったことを、次の瞬間、人に強いていた。いろんな状況の制約からこれしかないという判断を勝手に下し、動いた結果、人の居心地がどうなのかまで思い至らず、感じなくなっていたこと、状況から判断されるものは余計であり、間違いなんだと気づく現象が起こり、その場でははっきりとは分からず違和感だけが残り、今朝になってようやく繋がったという遅さです。
今、自分の心臓を痛めるすべての原因が、
この“心配”にあったことが骨身に染みて、
先生が言葉にしてくださり、存在とひとつに溶け合う経験ができることで分かっていけることは、本当に本当にありがたく、ズレっぱなしてなのに、放っておいてくださったのだとも分かり、本当に申し訳ない気持ちになりました。
それぞれがそれぞれで生きることを信頼されている距離感というか、間にはたらく愛を信頼されている姿勢を貫かれているように受け取りました。
コンサートやいだきの場に身を置くことで、生命が生命のままに向かっていける余地があったことを、その瞬間、自覚できないのですが、そうだったのだと改めて気づきました。
また、オンデマンド配信やCDを聴き、コーヒー、食事、表現など、自分で整えられることはやりたいと思います。
