いだき
決定的な京都コンサートの前に幻のKoguryo cafeに伺い、驚くほどコンサートメッセージとリンクした幾つもの詩を拝見しました。全てのIDAKIの仕組みが総合的に動き素晴らしい流れとなっていることに感激する日々が続きます。
良くも悪くも一人一人の今の事実が分かる詩を書いていただける好運は今の時代だからと感謝が溢れます。一人一人がそれなりに幸せで、勝手な愛を語り、勘違いをするという状態は資本主義の弊害であることがわかり、共通に認識する愛とは程遠いとことん分裂された物です。皆の事を等しく分かる王がいて、分かる人の元でいのちひとつに生きていた豊かさを感じる高麗屋さんでのひと時でした。互いの内面に愛があることを、愛がある人には分かるという当然の豊かさです。お互いに分からないということを基盤にして、何とも奇妙な世界が出来上がった事を悍ましく感じます。
詩を書いて頂く度、分かっていただけるということは生きていける事と経験します。そして前回たった一月弱前より確かに私のやるべき事と生きる道が分かっている内面が表されていたことに感謝し、温かい生きる力が新たに宿ります。
幻のKoguryo cafe用の真現るコーヒーを頂き、本流を生きるという精神が入ってきたように、言葉にし得ない生命の動きが始まっていました。
コンサートにて一人一人の限界が変わって行くことは、大きな新しい世界の扉が開いて行くことと経験します。新しい神の風が吹き、人間が気付き始める時を得ます。一人一人の勝手な感覚ではなく共通の豊かな内面で共通の愛をわかっていけるのなら最も幸せです。
高麗さんの記してくださった詩の中に「大いなるはたらき」と見たその生命の体感を通して、ピアノの音に宇宙の生まれる前からの大いなる存在の働きが光の大河のように押し寄せるのが見えるようにわかりました。人間の命は地球と宇宙の子どもであり、光満ちて、地上で唯一大いなる働きかけを受けて生きていける存在と気付かされます。資本主義の中で生きる人間が、地球を無視して生きている悲しみと無力さを知ります。
大いなる働きの大河を見、全身に受けながら、地球から宇宙の向こうまで届きそうな宇宙樹が見え、IDAKIという場で生きる生命は宇宙樹に生きる生命と体感できるのです。同じところで生きていればどれほど尊い存在のことであっても自分のことのように分かることが生命の奇跡と分かります。そのような「愛の連帯」が一人また一人と増えて行くことで一人が世界を変えていくのだと分かりました。
懐かしい存在の語りかけを聴き、生命があることの豊かな喜びに立ち戻ります。
生きて起こる巡り、反応する命に偶然はなく、とても緻密に正確に働きかけがありそのままを正確な言葉に表していただいているのだと分かりました。4月1日という大きな変わり目の、京都という場所が特別なのか、高麗さんの詩と併さるコンサートの威力をいつにもまして確かに経験させていただき、心より感謝申し上げます。