いだき講座応用コース
応用コース、とは聞きなれている言葉であっても、「いだき講座応用コース」と、今日はいつになく、鮮やかに目に入る書でしたこと、お話の内容も、何度もお聞きしたい、いだき講座のことで、これから動く活動の前にありがたく感じました。受講生の質問内容は、まさに自分の事を言われているようでありました。中心にある本音から外れると、不安や恐怖に襲われ、新しい動きができなくなる状態を、頭に言い聞かせ、言い訳して、時間が過ぎるがごとくに、情熱がさめていくことをさせるがままにさせていく暁は、ますます中心から遠ざかる生命は、さらに疎外されていく、そんな状態から、月に一度のいだき講座応用コースで、先生にお会いできることは、中心に戻れ、ピアノ演奏では、内面きれいにしていただき、未来が見え、内面希望に満ち、こんなありがたいことはありません。この度も、昨夜から痛む左肩の状態を受け入れて下さったように感じ、申し訳ない気持ちです。このようになる原因はすべて自分がやっているのであって、お話にもありました、自分と違うところにいる、ということがわからなくなり、大事な生命を、使われるモノとして生きてしまっているから、と分かります。「見えたことを決めてやっていく」も、いだき講座をうけた生命と、そうではない生命では、内面や空間に働きかける力がまったく違うことも、頻繁に経験する日々です。顕れる現実は、よい、よくない、は別にしても、生きている状態をそのまま鏡あわせのように見せられ、「人間として、さあどうだ?」、と言わんばかりの経験も先日、ありました。人間とし、生死を分けられるお試しの時、で誠に畏れいります。日本が海に沈むことが見えたとお聞きし、盛岡のコンサートでは、私は海の底でお魚と一緒にいたことを思いだし、ゾッとします。このような時代、生きているうちに、次世代の未来のためにこれからやっていくことは、まったく方法も分からず、人様から見たら、無鉄砲よりないかも知れませんが、まずは決めて、コンサートにより内面変えて頂き、そこから見えることをやって、未来を作っていく道を歩んで参ります。ありがとうございます。