KEIKO KOMA Webサロン

いだきを伝えること


最近よく思い出すのはST4の実行委員だった時のことです。私が得意だったのはお寺、芸術家(日本を代表する彫刻家の佐藤忠良さんも賛同して協賛金を下さいました。)宮大工さん(宮大工で著名な田中文男さんが協賛金をくださいました)お医者さんなどでした。あの時の躍動感は今もなお私の中に流れています。今でも忘れないのは公衆電話から高麗さんに電話した時のことです。「いだきの社員になりたいです」と私が言ったら、高麗さんが「誰でもなりたいわよね」とおっしゃり諭すように「もう一回電話して」と。私がもしもう一回電話していたら今頃いだきの社員だったかもしれません。もう一回の電話はしませんでした。

ST4を最後に私はスピリチュアルな世界やいろんな世界に行ってしまい、しばらくいだきを去るのでしたが、今考えれば修行でした。結局はいだきに戻り今があるのですが、私はまだ修行が足りなかったのか精神病院という難関にぶち当たり医療現場の現実を体験するのでした。全ては修行でした。

今日は難関不落の田中家を何とかしないととアンドロメダエチオピアコーヒーとわが家満開の紫陽花を花束にしてで従姉妹の家に行きました。いだきを伝えようとするといろんな働きかけがあり、いろんなアイデアが浮かんで来ます。従姉妹は亡き母親に守られているように感じましたがそのことの限界も感じました。いだきしん先生のコンサート、高麗さんの講演会に繋がる動きをして行きます。いだきの問題児の私ですがこれからも宜しくお願いします。

 

 

 

 

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制約が壊れていく変化
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ウラジオストクにて
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いだき京都事務所にて