いだきに来ていなければ・・・
わたしは人から影響されやすいです。昨日の17:20に母方の祖母が亡くなったと連絡がありました。コロナだから面会が出来ないのも仕方なかったと、言われてしまえば、もしいだきに来ていなければわたしは「ああ、仕方なかったよなあ」と思うほうです。馬鹿なので。でもいまは考えてしまいます。本当に仕方が無かったんだろうかと。
誰かが亡くなると当たり前のように、亡くなるときに看取りができなかったと、多くはいいます。でもいだきでお聞きする話は、看取られたお話が多いように感じます。ともに生きるとは、命とは、死とは。何が本当のことなのか、いだきへ行かなければ、サッパリわかりません。いや、行っていても、わたしは、、、。
たくさんのご遺体安置場や葬儀関係のセレモニーホールが市内に出来ています。良いのか?悪いのか?どうして?死をビジネスにすることは良いのか?悪いのか?真ん中なのか?いろんな考えの方がたくさんいて、誰が正しいのか、誰も正しいのか、正しくないのか、自分はなにを感じ考え、何をするのか・・・。
自分にとって良いものをみんなにも勧めたくても、迷惑になれば勧められません。必死の形相では「何が良いの?」と疑問にすら思われます。自分を生きることが足りないと思います。おばあちゃんに「ありがとう」は届くんだろうか。それとも亡くなったらバラバラなんでしょうか。
「温かい世界を広げる」という本音を持っています。これは実は「厳しさ」がなければ実現できないとわかりました。厳しくなければ本当のことなんてわからない。甘さと優しさは全く別物だと学びました。