いだきしん先生のコンサートがある日
文章表現への反応はそれぞれの理解力や解釈のあからさまな客観的証拠でもあります。
いだきしん先生の即興演奏は余計な意識が介入すると意識がなくなるので、解釈がはびこらず吹き飛ばされる唯一のお浄め、お祓いと感じます。
12月初日にコンサートのある日の雷鳴から、既にコンサートに向かう動きが始まっていると伝わります。
甲州街道沿いは、車の振動から日々揺れていますが、道路の揺れではない揺れがあっても、地震速報はでないのですが、危惧を感じることが多いです。
巡りか、もともとの性分か、移動する事が多いので、土地による人の層の違いによる価値観だけに縛られずにいられます。
各自の価値観や好み、都合ではなく、お料理だったら、どこまでもしみじみ美味しいか、愛があるのかが問われています。
先生のコンサートは余韻まで素敵です。余韻までやさしく美味しいお料理を目指します。
新たな始まりをありがとうございます。