いだきしん先生のお話
本日も、聞かせて頂きました。初日お聴きしたとき先生が、老人ホームを作られたお話しをお聞きしたとき、誰がわからなくても、日本の未来のために、先生のされてきたことは、日本の中心に大事な精神を埋め込められた、と感じました。また、イエス・キリストの存在や東明王様の存在を感じると、未来に今生きる私達のために過去存在していて、今先生や高麗さんとともにある魂の連綿と続いてきた魂の歴史を感じると、ふと自分の生まれる前に今生きる私のために存在していた存在はどういう存在だったのだろうか、と考えることが生まれています。おおよそは誰に教えられたわけでもなく、海外の高句麗伝説の際に魂が教えてくれていますのでわかってきているのですが、しばらくそのことを忘れていました。もっともっと前、自分はずっと生まれる前はどこにいたのだろうかと考えてしまうのです。どこかにいて先生と高麗さん光を追いかけてきたような気もするのです。だからって、どうするの?と聞かれてもどうすることもないのですが、人間は生まれる前はどこにいたのだろうかと考えてしまうのです。先生が、老人ホームを日本で初めて作られたという、とてつもない福祉の仕事をされたことが、とても重要なことなのです。とりとめのない書き込みをさせて頂き、恐縮です。生まれる前にどこにいたのかわかれば、どう生きるかも、今まで導かれ、普通ではない人生を送ってきていることも、あたり前のこととし、受け止めていけるからと感じるのです。生きていて、周りに出会う人、口には出しませんが、心の中では、その人が本当の自分に出会ったら生き方あり方全く変わってしまうのに、伝えられない歯がゆさを感じることは常であります。本日も夜は天照大神と猿田彦さんの演奏を聞かせて頂き、身体は汗ばみ、光を浴び、キラキラ輝く光に包まれ意識も朦朧としていました。また午後はkkchのライブを10分遅れでしたが途中から聴かせて頂き、昨日とはまた違う高麗さんにお会いでき、リアルタイムにお会いできることの喜びに満ちます。昨日聴かせて頂きました盛岡コンサートと、即興詩は凄い感動を呼び起こしました。最後の人間の時代をつくる、の詩で泣けてしまいました。
コロナ感染を危惧し、夜行バスをやめ、行けなかった盛岡コンサートを詩とともにお聞きすることができ、あまりにもスペシャルな時を頂き、本当に感謝しています。盛岡コンサート、あまりに凄いです。人間の時代をつくると詠まれました。大きな大きな愛を底まで感じ本音で向かわれている御方とお会いできていることに、畏れ多いとしか言えません。仕事では体制の中に囲われ疎外しかありませんが、最初はできなかったことができるようになる嬉しさが続けられている理由だと感じます。人は因子を持っており、合わせるとうかつなことで失敗もするので、いかにその中にあっても自律しなければ、自分の頭を疑い否定してしまう始末に陥ります。愛で生き抜くことが解決の道なのだとと気づくのです。周りの目を気にしてしまうと恐怖が生まれてきますが、内面を感じ愛でいれば、空間にはたらく存在も大変なときにはちゃんと助けてくれることでその存在をわかれば、生きていけることに気づきます。
今日は久しぶりにコーヒーで動き、いつもすれ違いで会えなかった農家の方とお会いでき購入くださり、このようなご縁を増やして行きたいと感じます。充実した日を下さりありがとうございます。