いだきあってこそ
お年寄りの方が認知症予防に塗り絵をなさる介護文化のあることはもちろん知っていたけど、子ども向けの塗り絵を買ってあげたというお話についつい「それはなにか見下していませんか」と言ってしまった。場は、私が世間知らずのために、お年寄りが施設などの中で認知症予防に塗り絵をなさる文化を知らないのだという空気になってしまった。みんな「いや、お年寄りは塗り絵する」と、言い、プロ介護士の彼女はそれでも、ただ単に私が偉そうな世間知らずだと恐らく認識した上で特に怒ることも嫌な顔をすることもなく、「お年寄りは塗り絵する」と重ねた。ついつい心を許していたので言ってしまった。その介護士の彼女の和を乱さない態度に、私はもちろん知らずに言ったわけではないので本当は誤解なんだけど、こうやって、知識も現場の経験もないのに偉そうな態度をしている相手にも敢えてそれを指摘することなく、いつもそうして人を許して場をつくっているんだと感じて、2つの気持ちが起きた。1つは、こういう黙々と働く人に、現場は支えられていることへの感服。もう1つは、権力のある人が間違えている状況に遭遇しても、彼女は恐らく大抵は今回同様に自己主張はしないだろうから、場には彼女のような素晴らしい人の意見は反映されにくく、彼女もそれを当たりまえだと思って先祖代々ずっと常識として生きてきているだろうことへの申し訳なさ。私は権力のある人ではないんだけど、たぶんご先祖様に少し権力や責任のある立場にあったと感じていた人がいらしたのかもしれない。申し訳ないと感じてしまった。「権力のある人」=「言っても無駄な人」の公式が出来ている。私はワンワンもうーたんも好きだけど、(こども向け番組のキャラクターです)人から与えられてその塗り絵を塗りたくはないし、大切な人がそのように扱われていたら嫌だなと感じるのでそれを表現した。人を尊ぶお話をずっといだきでお聞きしてきたから、人間として在りたい姿が身に付いた。しかし実際の彼女のお勤めする施設では馴染みようもない表現となってしまった。
今日は地元スーパーでアンドロメダエチオピアコーヒーの販売をさせていただく日です。とてもお世話になっているエリア長様、店長様のいるお店にこんなことを言って失礼なのですが、私のご先祖様は、仕方がないこととはいえ、安物スーパーみたいなのが地元にたくさん作られることは嫌だったんじゃないかと思います。明治などのころ、たくさんの仕事のなくなった人が生きていくために働く場をつくっていった時、それでも、「それだけはやっちゃいけない」というタブーがいくつもあっただろう。それを平気でハードルを下げてやっちゃう者があらわれて、最初こそ驚くが、案外すぐには目の前の景色は変わらない。そのうちに慣れる。でも長い目で見たら必ず滅びへ向かうだろう、と感じた記憶が、繰り返して2回くらいあります。嫌なものですが、私は2024年2月現在、ご先祖の代表としていだきしん先生と高麗恵子さんという歴史の横軸と縦軸の少し離れた近辺に存在する点の1つなので、この1つの光の点は、受講生さんたちという存在としていくつもあるので、今をひっくり返せる可能性があると力湧き、行って参ります。
読みにくい文章ですみません。
いつもありがとうございます。