秋の里帰り
ここ2.3日は母を連れて岡山に行っていました。施設に居る母の姉が口から食べられなくなり、体力が随分落ちてしまい、会える内に会いたい気持ちで、窓越しの携帯電話での通話で5分の面会時間でしたが、寒くなる前に会いに行く事を決め、従兄弟と共に会うことが出来ました。車椅子の叔母は、想定より顔色も良く、優しく芯の強い人柄である輝きが生命の内に感じられ、会えてとても嬉しく、母もとても喜んでいました。いつも面会に行っている従兄弟は久しぶりに笑顔を見た、いつもの倍は元気だと驚いていて、はるばる会いに来て良かったと感じました。
しかしながら子供の頃の夏休みに遊びに行き楽しかった記憶で叔母の家に泊まらせて頂きましたが、ご先祖様の遺影が並び大きなお仏壇や様々な仏具のある和室の空気は暗く古い臭いがし、正直怖くて、失礼ながらとても休まるどころではなかったです。庭に面している瀬戸内海は静かでのどかな風景ですが、村の空気はどこか人々の心に諦めさせるものを感じました。本家である実家のお墓参りにも行かせて頂き、秋の山々は心に在る景色で懐かしく、目を瞑り手を合わせると自分の内側は明るいこと、そして私や母に連なる先祖代々の人々の魂も、私達がいだき講座を受講し、高句麗伝説やいだきしん先生のコンサートを経験し続けていることが抜け出し口となっていると感じられ、なんと凄いことか、有り難いことかと感じ、だからこそ自分達も明るく前向きに生きてゆけると心強くわかりました。以前は田舎は自然豊かで良い位に感じていましたが、先祖代々の生き方がその土地の空気となり今生きている人間の生き方にも影響していることを肌で感じ、空間に何も無いことがどれだけ生きる上で楽か、そのような環境を創ることが出来るいだきしん先生の働きを改めてわかる機会となり有り難かったです。
高麗さんのビデオ講演会も毎日聴かせて頂き、日々の配信を誠にありがとうございます。人間の奥の深さ、魂の不思議を感じますが、わかってはいないことをわかるばかりでいます。
「千の顔をもつ英雄」も最初の方の読み途中です。自分が何のために生きているのかをわかりたい気持ちでいます。いつも本当にありがとうございます。