ありがとうございます
無観客での催しは、見ているこちらの邪念まで払われるような、すべての邪悪なものを払うような、迫力と邪魔できない、きれいな空間、無、を感じ、姿勢をただしました。
琵琶湖は初めて訪れた時から、湖が怖いのに、琵琶湖にひかれてなりませんでした。
催しのあと、帰りの車でもずっと泣いていたことを覚えています。
このたびは琵琶湖に光注がれ、眠っていたものが報われたような心の安堵感とともに、戦で泣いている場合ではないこと、生きていくための姿勢を問われているように感じました。いまのままではだめだぞと。
奈良では、奈良に入ると耳が聞こえなくなり、最近の自分のスキを考えるきっかけをいただきました。
みなさまの書き込みで高句麗の真の恐さ、強さが奈良では顕れていたとの表現がありました。
奈良高句麗伝説の時の自分は、その強さに恐れおののいている自分だったのではと感じています。
本当の真の強さ、壮大さ、偉大さをやっと、初めてわかったような体感です。
それはとてもうれしく、涙となり、祖父がとても喜んでいるように感じています。
ここ連日のコンサートの体感や音が心を震わせてくれています。
いまも「琴」の音色が響き、高句麗伝説が続いているようです。
素直な言葉で子供のように表現すると今更ですが、
すごいところに、すごい方たちのところに先祖代表して来ちゃったと
いつも以上に感じています。すみません。
来れて、出会えたこと、いのちつながり、感謝いたします。
ありがとうございます。
浜松 鈴木理恵