ありがとうございます
連日のコンサート開催、ありがとうございます。中止のお知らせは残念ですが、コンサートがあることがいかに自分を前へと向かわせてくれている原動力になっていたか、そのことを改めて感じました。
仙台のコンサートは開演にギリギリ間に合い、会場にて音を感じることができました。府中のコンサートも配信ながら、届いてくる音はこれまでとは違う感覚です。
ここ数ヶ月、数日に起きている変化は、いだきを知らなければ得られない経験です。変わることなら誰でも時とともに変わっていきますが、生きながらにして生まれ変わるような経験を何度もさせていただけるとは、どれほど幸せな人生なのでしょうか。
会社にいても感じますが、筋の通らないこと、理屈の合わないことはどんどん整理されています。私も理にかなわないことは嫌いなので、どう変えていったらいいか、それを考えます。
会社の形骸化されたしきたりや、業務への理解度が低い人間が考えたルール、煩雑な業務処理のせいで、教える方・教えられる方が正しい理解のないまま、無用な対立や叱責や自責の念を引き起こす有様は、見ていて本当にもったいないと感じます。人間が悪いというよりも、しくみが悪いのです。
以前、会社のことについて先生に相談させて頂きましたが、会社に取り込まれていくことなど、正しい知識と行動さえ身につければ、問題ではないとわかりました。たとえ相手が誰であろうと、筋が通っていれば納得しますし、筋の通らないことは必ずどこかで論理的矛盾、綻びが生じます。自分の言動に筋が通っていれば清々しくいられますし、その場ではどうにもできなくても、いずれ時が味方してくれます。全体最適されます。
会社の体質や人間は嫌いですが、日本の通信インフラを支えているという事実、その社会的責任と意義は認めなければなりません。ニューノーマルと呼ばれる時代にあってますますその存在意義が色濃くなっている気がします。末端としていますが、間接的にでも人と人を繋ぐ役割を担えること、その点はこの仕事に携われてありがたいと感じます。今まで逃げ腰だったことで見えていなかったことがたくさんあります。
いま自分が置かれている場所の、全体にとって良くなることは何か、そのポイントを探り、そこをポンと押せればいいのにな、とよく考えます。肝所をつかみたい。例えば煩雑な業務処理が人的ミスを招きリカバリのための稼働が生じさせている現状に対しては、処理を自動化するスクリプト言語さえマスターすれば緩和可能になります。そうすれば本来業務に集中できるし、有効性を示せれば上に端末性能の増強を訴えることもできます。同じようなことを考えすでに実行している人をあたり、私のいる場を変えていけばいいのです。結局私にやれることは大仰なことではなく地味で地道な勉強です。求めるべきは虚栄を満たす雄弁さではなく実務をこなすための行動であり、教科書とノートと教師です。そのためには自分ができない前提でものごとを考えなければなりません。0に何を掛けても0のままです。中途半端にわかっている、出来ていると考えるこの頭がやっかいです。傲慢さにあきれます。
生命で生きるとき、「私」、「I」が最大の障壁です。
こうした行動は、サラリーマンだからとか、そこから抜け出したいとか、そうしたことを超えて、仕事とは何か、これからを生きるとは何か、「アントレプレナー」とは自分にとってどういう意味を持つのか、その問いを明るみにしていく作業でもあります。いだきと出会えたことが、私の最高の出会いです。
いだきしん先生、高麗さん、いつもありがとうございます。