ありがとうございます
7月のはじまりは、地上の自分の頭や意識と、天からのはたらきかけを受けて本来なすべきいのちのはたらきの統合がうまくいかずに『個人とはなにか』を考えました。
後半戦に入ろうとしている今、昨年10月に亡くなった母方の叔母について、気持ちを馳せると同時に、人はモノではないこと、生き物はモノではないこと、私自身それをわかっていないと自覚します。
『私の気持ちは意味のないものなんだな』と弘前から青森に引っ越したときに刻まれました。3歳半くらいだったと思いますが、ちいちゃいわたしにも、ちゃんと大家さんのおばあちゃんとお別れになることを、説明してほしかった。意味がわからないまま突然「これからはもう会えない、もう向こうには戻らない」と引っ越し後に言われたこのショックの経験が大きく尾を引きました。わたしはモノ、あなたもモノ。誰であるか、意思はどうかなどは関係なく、ただひたすら強大な逆らえない社会の力にひれ伏して生きていく。
人や生き物はモノではないんだと腑に落ちればわたしもまるでNPOいのちの職員さんのように、人と心、魂通わせて、関われる人間になれそうだと希望を感じています。
きっと母も弘前を離れたくなかったから、わたしに言葉で説明はできなかったことを感じると、どうにもできないこれまでの女性のありかたに涙が出てきます。
3歳までのものは、解決していただいているとお聞きしているので、モヤモヤするところは言葉にして、新たな生き方にチェンジを・・・