ありがとうございます。
先生 高麗さん
いつもありがとうございます。
狛江コンサート参加させて頂き、ありがとうございます。
第一部『音の正体』という深いメッセージ 当たり前のようにして聞いている音が何かと考えた事もないけれど…当たり前と思っていた事は音そのものではなく結果 正体は極めて単純という 『差が、差として現れる瞬間、すなわち、無音と無音の差、静と静の差、在ると在るの差。』深い深いメッセージ 頭でわかろうとしてもわからないので音をちゃんと聞いて…と感じました。
上手くは言えないですが、『音の正体』のメッセージとしてははじめての体感でしたが、これまでのコンサートでも表現して下さって 経験 体感 しているので合点がいくような体感になりましたが、『音の正体』と感じるような経験は、先生が鍵盤を押される前と後 押される瞬間 手元が見えている訳ではないけれど、空間が裂けるような 動くような感覚に『ただ、ずれてしまったのです。』というメッセージを感じました。ピアノの音の豊かな体感と経験 無音の時の何も無いのに充ち足りた体感 安堵感のようなものを感じる経験でした。
第二部『内面生』も言葉でわかろうとしてもわからないけれど、一部で経験した無音の時の何も無いのに充ち足りた安堵感の体感がつなかり、形も何も無いのに、何かあるというような体感 常に外側に占拠されている『感じる前に説明がくる。考える前に評価がくる。迷う前に答えがくる。』というメッセージはまさにと感じ、占拠されている状態が正しい状態でそうでない状態は即改善しないといけないから常に緊張して粗相の無いよううにとガチャガチャしている自分の状態を感じました。自分の内面性を認めなければ、何かが生まれる前の状態を受け容れられない 全てのものを認め受け容れることはできないと感じ 無音 沈黙の状態で居られ事を深く深く感じました。
ありがとうございます。
