ありがとうございます。
先生 高麗さん
いつもありがとうございます。
狛江応用コース 参加させて頂きありがとうございます。
会場に向かう途中 突然 貧血のような立ち眩みがおき、いつもならここから立っていられなくなるので、急いで座る事を考え、お席に着かせていただきました。心臓のバクバクは収まらないけれど、不思議と立っていられないほどの貧血にはならず、調子が悪いという感じとも違う体感で、始まった先生のピアノの音は、第一音からバクバクの心臓に電気が走るような衝撃を受け早鐘のようになり、息苦しさがありがら、飛び出してしまいそうなほど嬉しいような、涙が滲むほど喜びを感じているような 苦しいのに心地良く感じる複雑な状態 何度も大きく息を吸いながら、ふっとアントレプレヌールサロンで伺った、自分の内側に言葉があるというお話し 心臓の音が言葉 のお話しが浮かび、心臓の言葉を感じるようにしてみました。バクバクは収まることはなく 言葉も理解はできなかったけれど、ただ調子が悪くて息苦しいわけではない事だけはわかり、どちらかというと笑いがでるような、喜びを感じている事 ずっとピアノを聞いていたいような体感でした。
講座で伺った、当たり前のこと 当たり前にやる事に〜やらなきゃいけない…はないというお話しが深く合点がいく体感 経験が日々現象として現れます。完全にそうなりきったとか、理解したとは言えないけれど、ヨガ道場での綱渡りのお話しから、当たり前にやる事なのに、しなければいけない ねばならないになった その仕組み 自分でそうしていった構造のようなものも感じられ、無意識?ではあるけれど、外側のものに引っかかって 外側に答えを求めて 自分を対象化して ねばならないでやっている事 概念を良い感じのように思い込んでいたのだと感じられ、『頭の暴走』とお話し下さった事がなるほどーと合点がいきました。
りんごの木にはりんごしか成らないという、以前伺ったお話しが浮かんで、りんごの木なのにマンゴーを実らそうとしていたような体感にどっと疲れが出るような、だんだん息切れしてくるような 身体の重さに気が滅入る状態だったとわかりました。
禅宗などの影響が日本の文化の底辺にあるというお話し 日本人の美徳が陰徳ということ ねばならないでやる事はあーだこーだとガチャガチャうるさいけど やる事をやっているだけは静かで豊かなのだと腑に落ちました。外に外に向かって ものにハマっていくからどんどん重くなって気が滅入っていく 意識してねばならないではない…となるのも違う そもそものねばならないの構造が理解できたら、自然と…やる事 淡々とやる事が感じられ 喜び やる事の喜びや豊かな事 何をしても案外楽しい事 ワクワクしている事をふっと感じていました。
宇宙を感じる 宇宙をわかると頭がちゃんと働くというお話し 宇宙が何かを考える人がいないと宇宙は無くなるという事 内面 心 身体 頭が一つになって 宇宙を感じる 宇宙を受けられる身体になりたいと感じました。
今 ここにいる事 瞬間瞬間の身体の反応を感じる事 常に冷静である事 賢くある事 淡々とやる事 強くなる事 先生が入院される直前の三鷹風のホールでのコンサートの時に ただただ聞こえてきた 感じていた 強くなるとか 強くなれとか 強く生きるとかの メッセージのような体感を考え続けてきた半年間 その答えの一つをまた頂いたと感じました。
ありがとうございます。