KEIKO KOMA Webサロン

ありがとうございます。


仙台コンサートの開催、ありがとうございます。とても素晴らしい経験をさせて頂きました。綺麗な光が見えました。一部、二部どちらのメッセージも、最近同じようなことを考えてましたので、先生が表現してくださったとき、心の中で歓喜しておりました。

美しく力強い先生の奏でる音の中に身を置けること、幸せです。ベールと呼ぶには硬質な何かがバリバリと剥がれていくようで、自由がきく状態になり、コンサート中、喜びで叫びたいような、走り出したいような気持になりました。普段生活しているのとは全く次元の違う本物の世界では、すべてがはっきりとするようで、まさに靄が晴れるように頭がスッキリいたしました。ありがとうございます。

古代史を学ぶのは面白く興味はつきませんが、当時へ戻ることもできず、繫がりの曖昧な部分を頭で想像しながら補完するので、どうしても解釈が入ります。どこかの文明とどこかで交流があったのかな、実在の人物のどこまでか記紀で伝説にさせられたのだろうか、などと、「おそらくこうだったのだろう」と想像することも、歴史を辿ること、学問することの、ひとつの面白味ですが、やはり解釈はどこまでいっても解釈、本当はどうだったんだろうかと、モヤモヤは残り、象を評すの心境でした。

「本当の自分の姿をわかりましょう」とのメッセージには、ハッとさせられました。大変ありがたく頂戴致しました。調べることや観察することにとらわれ、実像を歪めること、多々あります。バイアスがあるのでしょう、観測しようとなった時点で人や物事、対象を正確に捉えられなくなっていました。まるで量子の振る舞いです。こうであって欲しい、こうあるべきだという気持ちがありながら、それでいて真実が知りたい、では理に適いません。東北のことも、ある時期ある場所の断面を恣意的に切り取り、輪切りのようにして単一層的に見て決めつけることは、正確ではないと思い至りました。知るのなら、とことん知り尽くさねば、かえって余計な考えに囚われてしまいます。

私は、自分が声を発するよりもまず声を聞かなければなりません。いだきしん先生や高麗さんのように、メッセージを受ける感性を養っていきたいです。やはり問うべきは自分自身、内面綺麗に本当の自分の姿をわかり、その姿で生きていくことが、結果的に正しい歴史を、本当の意味でわかることに繫がると、思い直しました。

階層社会が無能を生み出す、まさに、非常に身近に感じます。組織にいても、有能な人間を無能化させることを、ある種ひとつの目的として仕事をさせているかのような嫌な流れを見ます。創造性や感受性を奪う有り様です。組織が人から養分を吸い上げていく、そうならざるをえない仕組みがまわっていることに恐ろしさを感じます。「生命と生命の繫がり」とは程遠く、まさにこの階層社会の、いきるちからを奪われる動きの断片を見ます。

ありがたいことに、いだきしん先生のコンサートや、高麗さんにお会いさせていただくことで、生命躍動いたします。怯まずに歩める力を頂けます。夫婦二人で高麗さんにお見立て頂いたマーブリングの服に袖を通すと、生命の紋様がそのまま現れたかのようなマーブリングの見事さに、思わず、凄い、とお互い唸ります。お洋服のみならず、すべてがそのように表現できたなら、いったいどれだけ素晴らしい存在がそこに立ちあらわれるのか。成長する面白さとロマンに溢れる人生を歩ませて頂けます。美しく咲く花を飾れるよう、生きてまいります。

ありがとうございます。

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將 6回目
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