ありがとうございます。
「魂のストーリー」という高麗さんのビデオ講演会のお話に、心がときめきました。古代の聖地や、神殿跡に訪れたことがよみがえります。目に見えない働きかけが、私をその地に導いてくれたのかもしれません。
単なる思い込みや勘違いでも、このような気持ちは、魂からとしか考えられないのです。2月23日のコンサートでは、魂を表現して頂きました。徒労が続く日々に、疲労した心身でしたが、魂が浄化され、癒やされました。魂の求めることに忠実に生きるよりない自分を恨みながらも、成していくよりない生命を感じます。その時代時代に成そうとした、魂の意志のような痕跡を求め、聖地や巨石を訪ねていたと考えると、胸の奥から悲しみと悔しさが込上げてきます。
母の命日に届いた「愛のほまれ」コーヒーを、極上コーヒーとして頂き、東北応用コースを拝聴させて頂きました。「美味しい」という感覚は、エチオピアの野生のコーヒーを飲み続けることによって変わってきました。「美味しい」とは何かと考えるきっかけになりました。それ故、甘いものを美味しいと思わされ、肉体を蝕み、脳を麻痺させながら、濁りを寄せ付ける媒体として、糖を使用されてきたとも考えます。糖の弊害や、砂糖の歴史が書かれている本を何冊か読みました。自分の体が、健康になっていく過程で、穀物と社会の仕組みも見えてきました。糖によるコントロールされた身体は、さらに管理社会の仕組みにより、巧みに労働を課せられていると感じます。制約をつくり、情報を流し、一部の人達だけが有利になるような社会構造は、何をやろうとしても、その足かせのような監視支配下の労働が回ってきます。何度もそれらが原因で、人と人の間に壁ができ、その壁になった言葉が頭の中から離れずにいましたが、書き出すことで、考えることが出来るようになりました。さらに、美しく生き、魂を磨くことも講座でお話し下さいました。「美しい」という経験を、即興演奏で沢山経験して参りました。その経験こそが、魂が求めることです。全ては、「美しい」という状態があってこそで、「食」も然りです。これから表現し創造すべきものは、自らが、美しく生きてこそです。3月2日のコンサートでは、私の前に座られていたウクライナの女性が、ずっと手を合わせて聴き入っておられました。そのお姿に心打たれ、私自身も涙がこみ上げてきました。「愛は今から、これからの生きるちから」というコンサートメッセージでした。本日、3月5日は、アントレプレヌールサロンもあり、「生きるちから」を深く理解できる機会があります。府中ドリームホール、京都コンサートホール、迎賓館コンサートもあります。多くの催しをありがとうございます。