ありがとうございます。
多くのコンサート、講座をありがとうございます。
コンサートの度に、気が付くことや、思考が、それまでの枠から出て、考えられるようになってきました。そのように変わるということは、生きている環境が変わるということでしょうか。次元が変わるということかもしれません。偶然、目にしたり、耳にする情報も、導かれるよう教えられます。
4月28日の「ジェンダーをめぐって」に参加した後、岡山に戻ると、母が残してくれた牡丹の蕾が私を迎えてくれました。数日しか咲いていない花ですが、私がいるときに花開いてくれました。京都コンサート後に急遽、実家に戻りました。アマリリスの蕾から花開き、バラの花は満開で、山桜桃は、美しく咲いた後に、鈴生りの実をつけて、私の帰りを待っていてくれました。母は、駐車場を花壇にしてまで、沢山の種類の花を植えていました。そんな母に、なぜ、沢山の花を植えるのかと、問いました。母は、「花が咲くとキレイでしょ」と、答えたのですが、当時は、その意味がわかりませんでした。しかし、今は、実家に戻る度に、母の生きていた時が、季節ごとに現れるのです。母の生きていた証が、この花の輝きです。この牡丹の花、そしてこの畑、この景色の全てに、母が生きていた時間がそのままあります。この花々にどれほど、見守られ生きていることかと、花を見る度に「ありがとう。」といいます。そして、多くの方が、インターネットを介して、その花の写真を見てコンタクトをして下さっています。多くのはたらきかけを、十二分に受けられる時代となったことを、自覚せざるを得ません。誠に、ありがとうございます。