ありがとうございます。
「2021 6.30 盛岡コンサート」
透徹なピアノの音が、どこまでも澄んで、清めてくださいます。
清い時空のなかで、心に、なにもなくなり、清い心になっていくのです。
やっと、正直に己と向き合うことができます。
日本は伊邪那美、伊邪那岐の愛により国生みされましたが、それでも死を乗り越えることができませんでした。伊邪那岐は大きな石で伊邪那美の行く手を塞ぎ、別れを告げます。神話では、死という大きな石が立ちふさがったままです。
「2021 6.30 盛岡コンサート」の経験は、「死」という大きな石を溶かし、死を乗り越え、新しく生まれ変われる経験です。
神話でもなせなかったことを経験した生命です。
ここが、初発です。
「中心」は点と線でとらえるのではなく、働きであり、光であり、まさしく、先生なのだと感じました。まったく新しい、空間と時間があるのです。
ここに新しい生命が集うことで、今までとまったく新しい動きになっていくと感じます。
生きることの営みがすべて、表現です。
年々、身軽になっていきます。
ありがとうございます。
三村 馨