ありがとうございます。
ありがとうございます。
何がどうとは言えないですが、ふっと、自分では全く意識していない、無意識と言っていいのかもわからないけれど…
自分が先生に対して抵抗 反発している 受け容れてない状態と気づきました。盲信 拠り所にしていてる状態も、反発 抵抗 であり、受け容れてない状態と感じました。
だからすぐ部分に反応して引っかかり部分になっていくのだと…感じました。
24日のコンサートで 全てを受け容れると言葉になっていくと、何も要らない、この音 この感じがあればそれだけで良い、と言うような感覚になりました。
12月頃から感じていた、悪いクセと言えるほど単純ではない、自分の欠点 弱点が如実ち現れ…
言葉の表面だけ、物事の表面に触れただけで、反応して何かわかったような気になっていく。浅はかな状態に、バタバタ慌てたり、だからダメと責め立てる。
深く考えれば…ちゃんと確認すれば…わかるような事 調べたり、勉強すればわかっていけるよな事なのに…と
25日のコンサートでは慌て乗ったエレベーターに箱が来てない状態で落ちそうになるような感覚 弱点が如実に現れました。
やり直し…他の人が当たり前に出来ることが自分にはできないと感じた小さい時、浅はかにも回りと同じことができれば良いと思い込み 勘違いして 〜ねばならぬのミッションになっていった事。今考えれば、やれない事はそれで良かったのかもしれない、違う可能性があったのかもしれない、頭 意識で決めつけて、計算して合わせていく浅はか 早合点
もう一度そこからやり直しと…
回りに合わせるのではない方法でやり直していく…
今年最後の東京でのコンサートの時、〜ねばならいないと身体が緊張して力が入ると、だんだん内臓に違和感が出てきて、重いような 痛いような…力を抜かねばと思っても抜けない状態に…内臓が冷たく固くなっているのを感じました。
アンコールで猛スピードのジェットコースターか戦闘機に乗っているような体感に、終わった時に笑ってしまうほど、身体がフラフラになり、力が抜けているのを感じ、内臓が柔らかく、暖かくなっているのを感じました。
25日の2部で、ピアノの一音一音が身体の中のある点、名前も知らない内臓が反応して、ふわっと光る体感があり、音と共にそれがつながって、光の粒のような血の流れ 神経の伝達のような、細胞の動きのようなものが、だんだん宇宙の星々に重なって見えてきました。
今まで、コンサートの時に見えるように感じていたものは内臓からの映像 信号だったのだとふっと気づきました。
最後はローソクのような、柔らかい ほのかな灯にみんなが集う中、小さい時から有る、言葉にならない感覚 みんな大好きと言うような 温もりを感じました。
弱点 浅はかな状態を、回りに合わせる事なくやり直すのは、力を抜いて内臓が暖かく 柔らかければ、一緒に考えてくれるから大丈夫と感じました。
こころより感謝申し上げます。
ありがとうございます。