ありがとうございます。
ありがとうございます。
何がどうとは言えないのですが…
目で見て、耳で聞いて、知っている わかっている と思っていた事のほとんど 全て 唯一無二と思い込んでいた 思い込まされていた現実 当たり前の事 当然の事と決めつけていた事が、先生の講座 コンサートの体感 経験 高麗さんの書き込み メッセージで、ぐるんとひっくり返った今、コロナ禍の事もあり、現れる現象があれっ?と逆さまに見える…今までの物 事 自分の内の感覚 感情もつくられた物 つくった物と感じられ、それが崩れていく 壊れていくと、
小さい頃から自分の中にありながら、回りとそぐわない 回りに合わないと無視なのか、押し込めたのか…現実的ではない、自分のつくった空想のような物としてきた事だけが、自分の感覚でも意識でもコントロールできない…唯一ある物と気づきました。
自分には小さい頃から、言葉にならない感覚がありました。
言葉にすれば、世界中の人みんな大好きみたいな感覚が、突然…ハッキリ覚えているのは、3歳くらいの時家族でバスに乗った瞬間 運転手さんと5,6人の乗客の人が乗っている、その空間の中で、突然ふっと喉の奥から突き上げるように、その感覚になった事、その感覚になると何か大きな物に包まれているような感じになり…
小さい頃はよく感じたのに、大きくなるにつれて、どんどん薄れていきました。
数年前の『志コンサート』の時に、雷にうたれたように、ハッキリその感覚を感じ時も、まさかそんな事が志?…と、言うより、それが志としてもどうしたら良いのかわからない…から無視 放って置いたと言う方が正しいのかもしれない…
その感覚が『温もり』とか『暖かい』と言う言葉になったのは、ほんとうにこの数ヶ月の事
そして大どんでん返し 大転換期 でんぐり返しでひっくり返ったら、唯一つくられた つくった物ではなく、感じたくても意図的には感じからないコントロールできない 唯一実際自分の内にある物と気づきました。
この実際ある物と強烈に強い現実と思い込んでいた物がどのようになっていくのか、11月1日高句麗伝説で拓かれたと感じる、知らないけど知っている時空と、目で見て知っている唯一無二と思い込んでいた現実がどう入れ替わって行くのか、自分の中の言葉にならない感覚がどう繋がるのだろうか…とまだまだ整理しきれない、言葉に現わしきれない…状態を感じます。
心してコンサート 講座 参加させて頂きます。
ありがとうございます。