KEIKO KOMA Webサロン

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盛岡コンサートありがとうございます。
縁もゆかりもない東北 盛岡でのコンサート 最も自分らしい空間が拓かれるような体感が、回を重ねるごとに強くなるのを感じます。

コンサート直前の高麗さんの書き込みの『時間とお金に囚われ不自由な…』という表現に触れ、心底 心の奥の奥からホントにホントに『不自由』と…強く感じました。

小学校1年生の時、学校の先生に『頭がお散歩に行っているんだね』と言わた事を思い出しました。授業に集中していない事の指摘であったけれど、自分としてはその表現に嫌なものは感じず、むしろ そう言う事だったのかー‼︎というような感覚になり、『頭』と言っていたけれど、頭というよりは『心 ここにあらず』と言うことの表現に、何故か枕を持ってお散歩に行く自分の姿が目に浮かんでいました。
学校という事に限らず…いつも何か固い物に囲われている感じ 固い物にぶつかる感じが嫌で、ここではないどこかに行きたいと感じていて…母にもそう言って『どこに行きたいの?』と聞かれても答えられなかった事 その固いもの 囲われていた物が時間の壁だった事に繋がりました。
北緯40度を一巡して時間の壁をすり抜けて宇宙に出発した銀河鉄道 小さな私は枕を持って固い囲い 時間の壁をすり抜けてお散歩に行っていたのだと…全く知らない世界 空間が拓かれたと感じ、全く知らない空間なのに、知っている空間が、少しづつ強くなり、唯一無二と思わされていた、見て知っている現実の世界がだんだん見ているのに知らない世界に感じてきました。

対象として見る 対象物で見る と言う 今までずっーと先生がおっしゃって下さっていた事の本質に触れたような感じがします。
自分が物である時は、自分が物として見られている事にも人を物として見ている事にも鈍感で、言葉としては反応していても、実のところはわかっていない、自分が物ではないと感じはじめた事で、高麗さんの『不自由』と言う表現が、ホントにホントに心底 不自由で嫌だと感じられ、時間×お金 時間とお金をかけると、出来上がるのは物なのだと…どんなに時間とお金をかけても、生命をつくることはできないのだと、ふっと感じ、『生命はつくれません。』に触れたような体感になりました。

応用コース整理して参加させていただきます。
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仙台高麗屋にて
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迎賓館にて