あたまとことば
京都にて尊い時を、場所をありがとうございました。
病。そんなに興味をもったことはなく、身体になんらかの不調がでた時々に対処してきた程度でした。今、病という人間の究極の特徴の一つは運命解決とどのようなつながりがあるんだろうかと興味をもちました。
そして、
自分は病か
自分は病的か
自分の中に病的に反応する傾向があるのではないか、と心当たりあることに気づきました。
例えば、おもいこみはげしい傾向は、あたまが呪術にかかっている、バイアスにかかっている。
ぼけているあたま
アホなあたま
呪術にかかっているあたま
バイアスにかかっているあたま
感情的、情緒的に過剰に反応するあたまは社会の中でマイナスな行動としてあらわれる。
このあたまをどのように解いていくのか。
あたまはことばとつながっているのか、またどのようにつながっているのか。
ことばは理性と関係あるのか、理性とはなにか。
ことばが正確になるとはどういうことなのか。
ことばは現象か、現象とは何であろう。
たとえば内臓が正常にはたらいてくるとことばにあらわれるのか、ことばがきちんとしてくると内臓もきちんとはたらいてくるのか。
本をよんだり、あたまで何かを考えて答えを出すことを超えて、からだ変わってその変わったからだや意識変わったあたまで考えて答えを出すということの次元の違いも自明のことであると分かりました。
存在あらわれることば、
ことばのちからの神秘をおもいます。
特攻隊の方々が極限の状態でうたに託したことば、言霊。
あたたかくて、あたたかくて、やさしくて、あいにつつまれました講座とコーヒーと講演会、詩を
ありがとうございました。