あきらめ
郡山高句麗伝説に参加させていただき本当にありがとうございます。
今朝になり、瀬戸際で絶滅種から抜け出せ、やっと「いのちひとつ、愛」が考えられることが体でわかり、目が覚め、これからと感じ涙が溢れ感謝でいっぱいです。
コンサートでは先生の新しい音に抵抗してしまう自分がいて恥ずかしながらフラフラになり眠くなるのを必死で耐えました。瞬間瞬間いのちは電流が走ったように反応したり、震えがくるほどのもの感じたりするのに何故かわかりません。
いつもと違う高麗さんのお姿やお声にただならぬものを感じながらも、言葉のひとつひとつに集中しよう努め、腿をつねったり背筋を伸ばしても、ガクっとなる瞬間があり申し訳なく恥ずかしいです。意識的に理解しようとしていると気づき、もっと感じることを大切にしたいと感じます。
今朝になり、高麗さんの書き込みを読ませていただき、なぜこうなってしまうのだろうと考えながら書いて整理をしているときにはっと気づかせていただけることがあります。一言で歴史的なことと言っても本当にいろいろなことがあり、歴史的なことが一気に変わるコンサートであった事は本当にありがたく、安堵している自分があります。これからのことを考える時安堵している場合ではないことは確かで、盛岡高句麗伝説に向かい、理解を深め整理することが必要と感じ、書いています。
「あきらめ」ということばが妙に残り「明らかになり芽が出る」とお聞きしています。歴史が変わり、自分にも明らかになることがある、明らかにできることがあると感じ、芽が出るように生きる希望のはじまりをありがとうございます。