KEIKO KOMA Webサロン

「麗花」の写真に


盛岡の東北センターにて展示していただいています「北の大地」の写真詩集の一枚に、詩集「麗花」の表紙となっている写真があります。中尊寺にて佇む後ろ姿の私の写真です。盛岡の講演会ではお話しできますことをいつも嬉しく感謝しさせていただいていますが、先生に出会う9ヶ月半前、11月でしたので、ちょうど今頃です。体が動ける内に北へと向かいたく、北の大地を目指し、中尊寺、そして盛岡まで辿り着いたのです。人生の終わりを考えた旅が、まさか、43年もたった今、盛岡の地にてこの写真が展示される展示会をさせていただく人生となるとは、当時は想像すらできませんでした。北上川の水面に光を見、「生きていける」と希望の光が胸が灯ったのです。この経験はずっと心にあり続けました。先生に出会え、この時のことをお話しさせていただくと、真の自分の光を見たのだと教えていただき、生命の奥深くで深く合点し、胸熱く涙溢れました。この経験があったので、先生に出会えるまで生命生き延びてこれたと感じています。その盛岡に拠点を作り、家まで持つことになる人生を生きることになるとは、当時の私からすると考えもできないどころか、別の人の人生を見ているようです。先生に出会え、運命を解放された人生は歴史の謎を紐解き、真の歴史が現る人生です。このように人間が生きていけることを考えることもできませんでした。自分自身が夢のまた夢の夢にも見ることのできなかった人生を生きていることに感謝すればする程に、同じ時代を生きている世界中の人にお伝えせずにはいられなくなるのです。たった一度の人生が、苦しみ、辛い人生では、あまりに悲しいです。東日本大震災が起こり、岩手県の被災地にご縁ができ、何度も盛岡にくることになり、「麗花」の表紙の後ろ姿の私の写真が今とつながる人生に人間の計り知れない神秘的な力を感じ、未だに魂震えます。そして初めて被災地にコーヒーの炊き出しに行った時、盛岡のホテルで一睡もできずに苦しんでいた時に、先生にお電話をさせていただき、「阿弖流為」と言ってごらんとおっしゃっていただき、恥ずかしながら、意味もわからずに、おっしゃっていただいた通りに声を出し、「アテルイ」と言ったのです。体が楽になり、その日も被災地に出かけました。後日、被災地へ行く時、高速道路が通行止めとなり、初めて通る一般道にて、突然胸動き、涙こみあげ、涙が潤む瞳に映った文字が「KOMA」だったのです。八坂という地もあり、昔ご縁があった地の香りに心ときめき、夜にホテルに戻った時、パソコンを出し、検索すると、「KOMA」の地は阿弖流為の地だったのです。心臓が飛び出る程驚くとはこのような衝撃かと感じる程、驚き、目の前に見える風景までも変わって見えました。蝦夷の魂と出会い、このことをわからずに東北の復興支援をするなどとんでもないことであったと頭を垂れ、今、気づけましたことに大いなる働きかけに感謝し、東北の復興は日本の国創りとわかったのです。歩くことで出会いが生まれ、歴史が紐解かれていく人生を生きています。ある日、突然このようなことが起こり、真を知るのです。それも生命丸ごとわかるのです。凄い人生と畏れ多く、人間とし生まれたなら、どなた様も、かけがいのない人生を生きていけますようにと祈るようにし、世界の平和を実現したく、先生のコンサート活動をしています。いだき講座こそが根源解決でありますので、本当は世界中の人にいだき講座を受講いただきたくていだきを始めました。が、現実的に無理ですので、講座を始めました翌年にもっと多くの方が先生にお会いできますようにと願い、コンサート活動を始めさせていただきました。最近では先日のウクライナの方もそうですが、先生の演奏は言葉以上に心の襞までも表現してくださるので、世界中の人に通じることが希望です。世界の平和実現は先生の即興演奏により、成っていくことが希望です。継続し、その時を作っていけますように生きていきます。今は仙台でのコンサートに向かい、皆でお声かけができればありがたいです。ありがとうございます。

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晴れた朝に
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仙台高麗屋にて
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桐箱