「魂」
8月15日狛江「高句麗伝説」へ向かわせていただくにあたり、前日に収録して下さった、ビデオ講演会を繰り返し聞かせていただきました。道中ということもありましたが、回を重ねる毎に、重大なことを聞き逃していたと感じ続け、「中心」をよくわかることなくして先はないと心し参加させていただきました。
2010年5月の京都「高句麗伝説」を今も時折聞かせていただいておりますので、笙の音を久しぶりには感じなかったのですが、輝きも、迫力も、何もかもがまるで違う笙の音からはじまり、すぐに高麗様は言葉にして下さり、真の人間が魂共に生きる美しい世界が広がりました。これまでの200回を超える「高句麗伝説」をひとつにしたとしてもそれを凌駕する1回、と言葉にならない「高句麗伝説」です。いつの間にこれほどまでの曲を数多く用意して下さったのでしょうかと次々表れる壮大な音楽に、高麗様が語られます即興詩、映像、先生の即興演奏が強く美しくひとつの中で、確かにある中心を体得します。和太鼓、高麗笛、木管楽器に弦楽器、アナログシンセサイザーに鍵盤楽器等々を駆使して下さる中、大迫力であって静寂です。ある時は美しい炎の中に、ある時はこの世の全てを洗い浄めていく激流のど真中に身を置かせていただき、この度ほど、今も尚在り続ける聖王様、あらわる方々を身近に感じたことはありませんでした。この世の会場には天井も壁もがありますが、光の音と御声がどこまでも突き抜け拡がる様子が見えるようで何度も天井を仰ぎました。
「魂」という言葉をこれまでも使わせていただいて参りましたが、帰宅して、魂と言葉にするほどわかっているのだろうかと申し訳ない気持ちになっていました。高麗様の書き込みを涙ながらに読ませていただき「高句麗伝説」の続きを経験させていただいたと感謝しました。大切なことを御書き下さりありがとうございます。とても残念でならない気持ちと共に、このようにして、いだきしん先生、高麗恵子様と永遠に共に生きていかれる魂が在ることがとても尊く、頭が下がります。いだきしん先生がおられる場で、これまで生きた人々も魂も、深く癒され報われていくことがわかり、最も尊い機会とわかります。初めて、真貫き生きた方々の全てが報われるのです。そのような場に身を運ばせていただけますことは畏れ多いことでもあり、無二のよろこびでもあります。高麗様のところへは、時満ちて、集う魂があることを知っています。御着物の御縁も不思議なはじまりでした。そのうちの一つのはじまりの一瞬が鮮明に蘇るとき、永遠に共に生きていきたい気持ちを美しく実現していこうと心新たになるのです。
中心が1ミリでもずれていては、このあとは楽しく元気に、美しく生きていけないと悟っています。そして新しい中心を体得し、中心は無限に自由であることをわかりました。
このタイミングで、日本列島と朝鮮半島、中国大陸が大風によりひとつに繋がっていました。風の声、魂の声に耳を澄ませます。魂の悲願と共に生きる一人一人は、かけがえのない人生を生きているとわかります。
真にありがとうございます。