「高句麗伝説」
昨日はライブ配信にて迎賓館での「高句麗伝説」コンサートに参加させていただきました。高句麗の地の映像はとても繊細にその美しいままに、画面に流れていました。先生の音と高麗さんのお声は、迎賓館に着席して聴いているがの如く私の胸の奥底にまで響きました。迎賓館でその画と音が生まれる世界は、すでに現代ではなく、麗しい光の満ちる神話の時代に居るようです。このような背景の内で高句麗は生まれたことそして国の歩んだ歴史を、その時代の大陸の地の土をまさに踏んで歩いているような体感のままに知りました。その国は、一人の生命から始まり、国が栄え、そして滅んでゆく時も、国そのものが生命のようであります。山の中の、自然の草木や花、そしてそこに生きる動物や生き物の生命、全ては人間の上でも下でもない、調和は生まれ輝いている光景でした。国が栄え、繁栄し拡大して、そして滅びの影がみえる時の場面では、私の生命の奥底より、悲しくて悲しくて、一人の生命が、それも皆が生きてゆける世界という名の如き大きな生命が、まさしく死んでしまうような悲しみでした。天のはるかかなたの光を受けて生まれた国のたどる運命は、かつてのこの地球上では、あまりにも悲し過ぎる運命でした。しかし、その歴史がたどった深く暗い運命をも、光が満ちて変わるように、新しい時を迎えていました。今の地球には、その頃とは全く違う環境があることを知ります。宇宙が生まれる遥かはるか前の世界の光は地球に届き、そして満ち、その光は呼び声のようにして、空間にも、大地の底にも眠る者にも時の今を報せるようです。2000年前の人の弓矢は、今の世界に生まれる光とひとつとなり、時空を飛び越えて闇を変えているようです。破魔の矢とは本当にあることを、そして多分、人類史始まって以来の次元を超えてその力の集結する今を見たようです。高句麗2000年の時と、宇宙や地球の歴史までもを一つに旅する迎賓館での「高句麗伝説」コンサートをありがとうございます。