「高句麗伝説」上映会
東京高麗屋での1/12京都「高句麗伝説」上映会、ビデオ講演会に参加しました。
2/8のいだきしん先生のコンサートに参加した後から、自分が悲しみを感じていることが分かる様になりました。
悲しみで動けなくなることは答えではなく先を作ることが答えと、書けば分かるのですが、同情もない交ぜになり、腹の決まらない状態での参加となりました。
いだきしん先生の奏でる音は、とてもやさしく、生きていける場と感じます。
高句麗伝説の詩では、悲しいという言葉が多いことに初めて気付きました。高句麗の時代は戦国の世であったので、身近にとても悲しいことが多くあっただろうことは想像は出来ます。その状況で、神とともに美しく生きることで守り、みなでぬくもりある生活をしていた高句麗の方々の生き様が素晴らしく、こういう方々が生きていらしたこと自体が奇跡と感じます。自分にはまだ同情できる余裕があっただけと気付きました。
高麗さんから、五女山城で身を貫いた悲しみと、その時生まれた詩について教えていただきました。高句麗の方々の生き方が指針となります。
ありがとうございます。