「従順ないい子」の魂レボリューション
自分だけで覚悟ができる人間なんて、そうはいないって。とくに「従順ないい子」として育ってきたなら尚更。
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先生、高麗さん、そして皆さま、本日もまことにありがとうございます。
ずうっと「従順ないい子」として生きてきて、大事だと思っていた親からすらも「つまらない人間」と言われて裏切られた気持ち。さりとてそうでない生き方を模索しようと思っても、他人の目を気にせずにはいられない。裏切られたーそんな傷が根底にあるせいか、誰かに助けを乞う、力になってもらう発想が出ないので絡まりまくった糸を余計に拗らせる(一時期の『自己責任』という言葉の流行でも拗らせた)。
「真っ当に生きたい」「諦めた方が楽」そんな板挟みの状態で長らく力なくヨボヨボと生きてきましたが、今日の演奏を聴いてまた一つの山を越えられたようです。
心臓がまるで昇り龍のごとくドキドキバックンバックンしながら臨んだ本日のコンサート。あたかも桃色はじめ色とりどりの織物が身をくるんでくれるようだと感じたり、「置ける身があってよかった!精一杯豊かだなあ。幸せだなあと感じられる身があってありがたい!」と何度も呟いていました。演奏後、サッカー選手がゴールした後、芝の上を正座でザザーッと滑るアレをやってみたくなったのでやってみました。こんなに感激していたのだと改めて実感しました。手拍子では、「つまらないのは、つまらないことやつまらない環境にわざわざ身を置いたりするからじゃない?さあ、楽しく手を叩いてごらん」とあたかも誘われたようでした。
とはいえ、結局のところ自分一人だけでは折角分かりかけた情熱などの良い魂のバイブレーションを再び押さえ込んでしまったり、我慢してしまったりとそんなに強い人間でないのも現状では事実。
こうして好きな文章で現すことで、同じく「従順ないい子」として育ってきた人達と一緒に魂のレボリューションを盛り上げたい。余計なことに遮られずに精一杯感じられるってこんなに気持ちよかったよね!その幸せを共有できることはとても救われることだとわかったから。今まで望みつつも諦めてきた魂レベルのお付き合い欲求がムラムラと湧いて仕方ない。
重ねて御礼申し上げます。
中川秀之