KEIKO KOMA Webサロン

「ひとつ」


高麗恵子スカイロケットセンターでのボランティアミーティング、ビデオ講演会、そして三鷹での「存在論」を、まことにありがとうございます。
この上ない危機状況に対しどうするか、何ができるか、高麗さんが問うて下さる時、現実をみとめなければ何も始まらず、我でやることは人に通じず動きにもならないことを受けとめます。それでも先生、高麗さんに助けて頂き今まで生きてこれてしまったので、限界と感じながらもまだどこか余裕があるとおもっているのだと感じました。気持ちがあると言いながら現状不本意におわることはできず、どこまで行っても強く在る我をよくわかっていかないとと向かった「存在論」です。
ことばが大切であり、我から発することばは人も自分も傷つけ、関係も切っていくことは実際経験しながらも、問題をないことのようにするのも、観念的になるのも、気を使うのもできるところにしがみつくのも、、、全部、我であると、もうぐうの音も出ません。
デカルトの2元論を学んだことはなくても現代はすべてそうなっていて、頭と身体が別、身体を機械のようにしているというのを医療からも身にしみ感じているつもりでしたが、まさにじぶんもそうなのだとお話から気づき始めました。原因のひとつは育児法にあるとお聴きし腑に落ちるところもありました。以前、先生からお産のことや産後のことをお聴きし、愕然としたことがあり、自分の出産も考え経験したことから助産師になりましたが、社会全体のことと限界を感じ行き詰まり、ずっと未整理のものがありました。この度の「存在論」をお聴きし人間全体の深いことであり、先生がおられなければ糸口も何もつかめないことと考えます。
「全体」と「ひとつ」と、コンサート、講座で他ではできない経験を重ねさせて頂いてきたことはかけがえのないことです。「全体」と「ひとつ」に、内面に何もなくし、きれいなことばで人と交流していくこと、まずは現状をわかりながら身につけていきます。
貴重な機会を、心よりありがとうございます。
天田敬子

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結工房より
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東京高麗屋にて
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