「おかえり」
いだきしん先生の講座、コンサート、そして高麗さんの心模様作品との出会いの中で、共にある多くの魂や自分の命の奥深くにある光と出会う経験をし、自分も全く知るはずのなかった世界にふれ、魂のルーツを辿り辿り、やっとここまでこさせていただいた19年でした。そして今、その本当にその生命の奥の奥の扉を前にし、立っている気持です。「分断の歴史」とお聞きするとき、自分の内面の奥深くに閉じ込め、閉じ込められた「何か」があることを感じます。北陸の地の奥深くにある言葉にしつくすことのできない何かが、雪に閉ざされた扉を前に、ようやくこの扉が開かずしては未来はないと見える扉です。
個人的なことで満足できれば、何もここまで来る必要はありませんでした。しかし、高麗さんの作品との出会いから、心模様の行方から、あまりに明らかに、共に悲願なすために魂が共にあることをハッキリと知らせてくださったのです。自分だけの人生どころか、とんでもなくたくさんの可能性と悲願に満ちた私の人生なのだと、自分でも驚くばかりです。気がつけば、私の真の人生の列車は本当に動きだしてしまいました。真実でなければ絶対に動くはずのない列車です。自分で動かそうとしたのではなく、動き始めてしまった事実に、自分はこの先、生死がかかろうとも出発のときがきてしまったことを受け止めています。
自分の中には争いが起こることへの恐怖が奥底には常にあります。その歪みがはっきりと現れてきた今、同時に変えていけるときでもあると認識しています。幽閉されるようにして、蓋をされ、真っ暗な中に閉じ込められた過去の歴史は、長い年月が経とうとも寸分も消えることなくそのままあることを、認め変えていかないといけないのです。
能登の春の海のタペストリーを見ながら、子供のころは、自分に子供が生まれたら、春海ちゃんか、春麗ちゃんにするんだ、と言っていたのを思い出します。「おかえり」と聞こえた魂の故郷。自分自身は想像もつきませんが、認識してなくともある命の中に刻まれた歴史。途轍もない時に今きていることを、漠然とですが感じる今です。