KEIKO KOMA Webサロン

凡才で終わるか、天才で生きるか


昨日の応用コース前のビデオ講演会収録に参加させて戴き、目には見えないものが全て見える高麗さんのいだきしん先生を表現されたことが途轍もないこととして体に入って来ました。そして応用コースでは、半端な状態を吹き飛ばすピアノの音に暴風の中にいるようで、先生の生命を使ってきれいにして戴いているのに、こんなじゃ申し訳ないばかりでした。先生が変わると世界が変わるという先生の存在を前にし、「全き人イエスキリスト」とおっしゃることも理解できず、それでも先生にお会いすると、次へと向かう生命に変わっていることが本当にありがたいです。

本日の「存在論」にて、「全き人」と先生が表現されたイエスキリストのことが知りたく、イエスキリストを超えられている先生の存在をわかりたく、お話をお聞きしていました。十二使徒が復活のイエスに実際に会って生命賭け伝道するに生き方に変わったことをお聞きしたとき、自分は目の前に先生がおられるのにわからないで死んだら末代まで後悔し、後世の人からみたら何て愚かだと思うとわかって、生きている内に早くわからないといけないと、思わず、質問させて戴いたのですが、「わかる必要があるところにいない。」とのお言葉に、世俗に嵌り、目先のお金にあくせくし、自分のことで精一杯で、日本のことも世界のことも自分のこととして考えられない状態であることが、はっきりしました。ズバリ凡才で生きている。魂ありやっと出会えた高麗さん、普通では会えないいだきしん先生に出会わせて戴いた真実は、自分の存在証明せずに凡才では終われないです。天才で生きれるのだから、先生のことが「わかる必要があるところに」身をおいて、いだき講座を受講した能力を活かしていきます。先生に質問すると身体がたちどころに変化反応してすごいです。宗教のように信じることもなく、即座に変わる身体に、この経験をちゃんと伝えられる言葉を使えるようになります。

先生、高麗さん、ありがとうございます。

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NPO高麗 東北センターにて
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比叡山にて
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マドリード展示会場より