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Jullyの最期の教え


昨日はJullyを安置しなくてはと必死でした。時間が埋まるように無事に家にJullyと帰宅、検査通院を終え三鷹に向かった時は、タクシーに乗っても19時を過ぎていました。ロビーで聞こえる先生のピアノは、深い木々の木立、深い緑、深淵なる恐ろしい程の何かを感じ、「ここはどこ?」と今日のメッセージを考えていました。その後の演奏は、私の心の穴を、ピースを当て込むように穴が埋まっていき、あたたかく何かが広がっていきます。休憩時間にメッセージを聞いたら「五女山の愛」、武者震いがしました。第二部「生きられる力」、ありがたいと瞬時に感じ、心して聞くはずが、とにかく体が忙しくて集中できません。頭は全く働かず、体は横っ飛びに眠りこけ、稲妻形に頭の真上から突き刺さる音で飛び起きたり、とにかくどうしようもないのです。このままで終わるわけにはいかない。それなのにアンコールの手拍子すらどこか虚ろでした。最後は頭上から何かが突き刺さり、スッパリと貫かれました。このようなコンサートは初めてです。帰るのも何もかもが無気力のまま、部屋で横たわると朝日で目覚めました。突然私はJullyの為にも、ちゃんと認めなくてはならないと気づきました。彼は亡くなる日の午後、酸素ハウスの中で「ウガー」と、傍で食器を洗う私を呼びました。私は「どうした?」と声をかけ見ました。もう一度「ウガー」と呼んだのに、それでも「ここにいるよ。大丈夫だよ」と言い、彼を出しませんでした。彼は出して欲しかったのかもしれません。私の傍に居たかったのかもしれません。それきり声は出しませんでした。呼吸が落ち着いていた為、突然書込みをしなきゃと思い、彼にその旨伝えました。必死で書込みしながらもハウスを見ると、大きな瞳は白い天井を真っ直ぐに見つめ、瞬きをしています。「まだ生きている」と安堵し、「終わったよ」と告げました。この後、私は愚かにもインスタに同じ投稿をし始めたのです。何度やっても投稿出来ず、ふっとハウスを見たら、反対側を向き目は開いているのに呼吸が止まっていました。私は大事な最後の最期に、彼と一緒にいませんでした。心が離れた時に一人で旅立たせてしまったのです。それも愚かなくだらない理由で。なぜと問うても取り返しのつかない今、Jully の死を無駄にしないためにも、きっちりと認めなくてはなりません。償えきれない愚かさ。「高句麗」のCDを聞きながら頂いた五女山珈琲は、限りなくやさしく涙が溢れるばかりの朝です。

 

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