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8月9日 ことば


恐縮ながらここ数日けだるく、どうしようもなく 何もかも嫌になり、なんなんだと思っていました。ヒロシマ、ナガサキの影響?とちらっと考えるけれど、自分は鈍いからそんなはずないと思ってしまう。

8月9日日 ナガサキの式典に参加するような気持でパソコンのライブ映像の前に神妙に座りました。強い情緒あり。こんなに強いのに無視してた。
人間の内面にはすべてあるのに 人間とはそのような(すべてつながっている繊細な)存在であることを閉ざして部分的な「もの」となって生きている。
ここで絶望的な気持ちになった。

もの という言葉を考えたとき、物、者、とも書くことができ、物分かりがいいとか悪いとか、物事とか、物心とか、ただの「もの」と思いきや非常に深い。そう考えると顔が持ち上がった。「もの」からでも出発することができる。

ありがたいことに日本語は一つの言葉にもいろいろな意味の含みがあり、言葉は、固定するものではなく 動いて固定を壊す使い方もできるのか、と考える。
言葉の固定概念に縛られることなく、より真実を求めて動く言葉こそ、すばらしい。
バルセロナには 何もまとわりつくものなく、前に進む美しい透明な純粋を感じたことがありました。(行ったことはないけれど、バルセロナ出自の芸術に触れて)。
言葉も、何もまとわりつかせないで ひたすら純粋 美 そのものを表出する言葉 次へ向かえる言葉を 求める。
現実、現状を言葉にするとき、そこで止まる言葉は固定の言葉。言葉の本来の働きじゃないかもしれないから、そこにとどまらない。

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