KEIKO KOMA Webサロン

言葉


桜の花が咲く東京から、冬に戻ったような寒さの中を比叡山までやって参りました。お手伝いに来てくれた仲間と先生が3月に焙煎してくださったスペシャルと書かれたコーヒーを頂きました。エチオピアで頂いたテイーコーヒーを思い出す、さわやかでまろやかな味わいのコーヒーの美味しいことに感激し、一変に生命洗われたような体感となり、清々しい水の音が聞こえるようでした。起こる現象から、私は気づくと怒ることが多くなっています。まるで、いだきの邪魔をする為に、魔物や悪魔が取り憑いているのかと考えてしまう程、人の状態が私にはおかしく見えるのです。判断が狂っているように見えるのです。一体どうしてしまったのか、と戸惑う最近の出来事です。が、もしかしたら元々そうであった状態が隠しようがなくなり、そのまま現れてしまっているのかもしれないとも見えるのです。たまたま起こったことから、また小言を言ってしまい、比叡山に着くなり、このような会話となってしまいました。話ながら気づきましたが、コンサートにて先生が人間の生命の内も空間も整理してくださり変えて下さっているので、あるがままが素通しとなっている為とわかりました。また先生の存在が顕れてからは、今まで当たり前となっていたことも異常であると見えるようになり、裏も表もなくなり、全てが現れています。真があらわるとは、全てがあらわることに驚く日々を生きています。昨年の年頭に嘘つきはばれると宣言された対談での先生のお言葉が常に心にあります。私は子供の頃から嘘はつかないと決め、徹してきたつもりですが、生命には偽っていることまでも見えてきた時には、大変衝撃を受け、戸惑いました。裏側に隠してきたことも現れるようになり、当たり前と思ってきたことは人間がつくりあげた常識であったり、倫理道徳観であるのだと見えてきました。世俗では当たり前でも、永遠の世界では偽りであると見えれば、身が震える程恐ろしいこととわかります。幼い頃より、人に評価されても恐ろしいと感じてきたのは、人が本当のことをわかっている訳ではないからと考えていたからです。死んだ時に神様は自分の人生を受け容れてくださるだろうかと、そればかりが心配で、本当のことをわかりたい一心で生きてきました。余命2ヶ月と言われた24才の時、病気で死ぬよりも、本当の事をわからずに死ぬことが何より辛いということが私の口癖であったとは家族が今でも覚えていることであります。それ故に、余命2ヶ月であっても先生にお会いしに出かけたのでした。先生に出会い、本当のことがわかったら、生命助かり、人間とは何かの答えまで、生きることでわかっていける人生が拓かれ、今日、生命が在ります。

時はいよいよ先生があらわれ、裏も表もなく、すべてはひとつであり、真あらわる空間が立ち現れています。本当のことより通用せず、真を実現できる時代となりました。

道中、ふと、今死ぬとしたら、私はどのような言葉を表現するのかと考えました。言葉は命です。生きていく為に正確に表現していかねば、生きていけない生命であると身に沁み感じたのです。死が背中合わせであれば、真剣に言葉を発します。いい加減な表現をしても生きていけると思っているので、現代人は、無駄なことを話したり、くだらないことを話しているのだと見えた瞬間、恐ろしさを感じました。私は、生命が生きていけるように正確に美しい言葉を表現し生きることに徹していかねばならないと生きる姿勢を正しました。

今日となりましたが、上映会と応用コースがありますことに感謝します。そして31日の琵琶湖でのコンサート完売、誠にありがとうございます。

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社長室ランチにて
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迎賓館にて
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