KEIKO KOMA Webサロン

8年


「4月からは皆で新しく生きていけると感じています」との高麗さんのお言葉に触れ、ありがたく感じ胸の内が温もりで満たされました。そうありたいです。

小さい時から不思議だったのは、宗教家と言われる人や多くの人に崇められている人が、いつも落ち着いていて穏やかで大らかで、「悟ったような顔」をしていることでした。自分は悟った。というような微笑みを湛えている佇まいがどうも違和感があって仕方なかった。もはや人間ではない気がして、嘘くさい気がして、気持ちが悪かったのです。しかしそれを心で打ち消して、そのような人になりたい、ならなければ、とどこかで思っていたようです。「ようです」と書きましたのは、この数日間、あるプロジェクトの中心で色々な人と関わっていたのですが、ことあるごとに自分は「悟った」佇まいとは真逆の、卑小で心狭く醜い心を自覚して、時にはそれが顔にさえ出て言葉にも出て、苦しんでいたからでした。こんな自分いやだ、もっと許容量の大きい、微笑みを絶やさない人でいたかった、と。あまりに苦しくて、夜ベッドの中で「神様助けてください」と思わず呟いたほどです。昨日ようやくそのプロジェクトも成功裡に終え、すると、ふと微かにですが、関わった方々への感謝とともに愛おしさが溢れました。ああ、これが自分の望んでいた心のありようだ。苦しんで苦しんだその先に、愛を感じる経験をしたのです。これが人間なのだ、こうして少しずつ、私は学んで行くのだ、とまた心には未来に向いて生きる勇気が灯りました。と同時に、先生のお姿を思いました。そして涙が出ました。先生の佇まいにはどこにも嘘がない。「本物の人間だ」。それが最初に先生を見たときの強い印象でした(加えて笑顔がとびっきりチャーミングなことも)。今もそのときの印象は変わりません。そんな先生に出会えた私はこうやって一つ一つ経験しながらまた生きてゆけばいい。形から真似なくてもいいから。一歩一歩。人間だもの。

これまたもう20年ほど前のことですが、永田町の会場でのアントレプレヌールサロンでおっしゃった「より良く生きたいなら俺を研究しろ」という言葉まで強く思い出されます。研究とまでは行かずとも「先生だったらどうするか」ということを考えられる人間になりたいと願います。千分の一、万分の一もできないことはよくわかっておりますが。と言い訳するのも卑怯な心からなのかもしれません。

今日31日で、東京を離れ丸8年となります。いま、8年前には想像すらできなかった日々を生きています。元気に生きて、色んなことをまた経験させていただいていることに感謝しております。ここにとどまらずもっと大きくなろう。新しく生きていこう。

明日京都に参ります。ありがとうございます。

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マドリード ギャラリーより
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高麗さんと行商CAR
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南昌荘にて