KEIKO KOMA Webサロン

高知コンサートから今に至る日々


渋谷コンサート、そして続く三鷹コンサートに至るまで、いまだ表現していなかったことがあります。
ライヴで参加の高知コンサートで生まれた本音は、「ピアノを弾きたい」でした。近頃習っていたあるピアノの先生に「その弾きかた、こわいよ。」と言われて愕然としたのです。幼い時ずっと習っていた弾きかたはよくなかったのかと、まちがっていたのか、と。いわれるがままにいつのまにか習わされ、自分のために好きで弾いたことはなかっただろうのピアノ。すべて暗譜に受かるため、です。先生の即興演奏を始めてお聞きしたときから、ピアノとは。。まったく別物の弾きかたで。。今までのことを否定してしまいました。高知コンサートは、恐ろしいと感じました。体にしみ込んだ長年の違和する何かが、吹き出るとは。。
白黒はっきりわかる結末はスタートでもあったのかと。。

渋谷コンサートでは、ピアノの音にひたすら集中しました。ピアノの音に寄り添い、何があろうとも寄り添い、ひとつになると世界はまるで明るくなりました。空間にある存在すべてが総動員しお祭りのようににぎわい、突然「神」と墨文字で大きく目の前に現れます。ひとつである状態がこれほどいいものなのか、いいも何もない、音の微細な音域に寄り添う魂は全世界に伝搬していっていることをこのたびの経験から分かることができました。心臓の音とひとつ、と言葉が生まれます。

三鷹コンサートは、渋谷のコンサートがあまりにもよかったのに、一部は集中しているのに、ひとつになれない状態からその日の行動の結果、と、本音で生きていない結末から、このような状態を鏡合わせに経験させていただいているのだと感じます。
しかし中盤から宇宙銀河が突然現れ、紫の帽子か、洋服を着たお母さんと子供は手をつないで、銀河世界の向こうに消えていく光景が見えました。三鷹に向かう電車の中で小学生の女の子の隣に座ったのですが、その子は目つきを殺気だてて、ゲームに集中しているのです。その状態はふつうでなく、私はそのことがあまりにも悲しくなりました。気になると、その子の内面が次第に変わっていくのが分かりました。いだきとつながっている人がそばにいれば、子どもたちや人は自分を取り戻していくのだと感じ、世界がいだきでいっぱいになったらいいなと感じました。そうなるには、まず、自分が真の自分を生きていなければいけないと言葉になりました。そして、真の自分を生きていくのは、本音で生きていないと、と言葉になりました。コンサートはアンコールを迎え、生命から意識することもないのに、言葉が生まれてくるのを頭は聞いているのです。「先生のようにスタンウェイのピアノを弾きたい」と繰り返し、言っている生命の言葉を聞きました。
生まれる言葉はなんだろうと、先をまっていても、何もありません。すでに通り過ぎているので、頭の期待していた言葉は勝手な頭の行動だけだったのです。乗っている汽車は駅にすでに着いているのに、まだ、汽車は線路を走っていて、駅についていないと、勝手に思い込んでいるのと似ています。生命の言葉と頭の回路の路線がまるでちがう、このようなあり方を、人間はしているように感じます。突っ走って書かせていただきました。三鷹コンサートでは、心臓が痛みました。普段は気づかないことを教えていただけ、生命拾いします。心臓の病になるのをおそれ、気持ちは表現せねばと、心新たにします。
生命の言葉を、ありがとうございます。

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