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静と動


三鷹コンサート第1部メッセージ「わびとさび」。何でこういうメッセージなのか?とお聞きした瞬間疑問を持ちました。「人間とは」をピアノの演奏で表わしてくださることに気づき、豊かな経験なくして人間にはなれないことをアントレプレヌールサロンで学び、コンサートにて経験させていただける贅沢な時間です。先生のお召し物に息を呑みますn。お召しになられているお姿。力が全く入ってない立ち姿は、粋で隙が全く無いということを学びます。演奏が始まり、毎回そうですが、聞いたことがない音に驚きます。一音一音、静かで深い世界へ誘われます。何故か、雪見障子から日本庭園を眺めていました。雪見障子という日本建築の建具も趣きがあります。さらに葦簾も思い浮かび、琵琶湖の葦のことを考えます。5月〜6月に生え始める葦は秋から冬に枯れて刈り取られ、また春に新しく生えてくる循環を敢えて自然環境保護など意識せずにかつて日本人は自然とともに生活していたことを考えます。小間と呼ばれる四畳半のお茶室の造りやお茶碗の模様を景色といい銘をつけて愉しむ趣向も豊かな文化を感じます。静かな一音一音でありながら、全身が熱く汗が滲みます。ふっとお能のことを思います。静かな動きであっても内面は激しく動いていることを何かで知りました。心拍数が130くらいになっていることを知った時に、内に秘めたるエネルギーの凄さ、目には見えない内面の世界を、先生のピアノの音で経験させて戴きました。コンサートで日本文化の奥深さを経験できるなんて、ピアノで表現できる先生の凄さに畏れ入ります。第2部「幾年も経つことにより」のメッセージをお聞きして、「自己の命の言葉を表現していくことが大事です。」が心に残り、演奏をお聴きしてました。ついついわかろうとする意識が先行して、身体を感じるより頭でグダグダやってしまいます。すぐに頭は木っ端微塵に打ち破られます。「自己の命の言葉」を表現できれば、とても自由になるのに…分厚い壁があり、その内にそんなのも意識的であるとわかり、なーんにも無くなっていきました。高麗さんの書き込みを読ませて頂き、自分も正解を求めるところが多いにあります。自分の場合は人の目を気にするところから来る正解です。大人の顔色を伺いながら育って来た環境による身体の反応ですが、既にこの身体の反応は無いのに頭が記憶して動けなくしていることを今書きながら気づきました。いだき講座を受講し、コンサートも数多く経験させて戴いているということは、自分ではどうしようもできない身体の反応がなくなっていて、癖は頭の記憶がやってるだけなのでした。やればわかるとは、そういうことですね。

コンサートの経験を話すことは「自己の命の言葉を表現する」ことの一つであると考えます。

豊かな尊い経験をありがとうございます。

本日もコンサートに参加できる恵みをありがとうございます。恵みを活かし人間になっていきます。

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