KEIKO KOMA Webサロン

静かなる内面


京都での存在論、死についてなど、書き込みを読ませて頂いたり、遅まきながら今月は本日kkchに申し込ませて頂いたのですが、身に思い当たることいくつか、ありました。こうしよう、と浮かんだ矢先にそれにおいて困っていることも同時に解決する現実となった結果が手に入った経験をします。
内面が現象となる、そのスピードがあまりにサクサク行く時もあれば、コンサートの日が近づいているからなのか、理屈ではせめて行けば先がないことが分かるのに、そのようなもの、すっとばすかのように、どうしようもない欲望が生まれてくる内面に手を焼きました。が、先生の第三回めのいだきのピアノを聴かせて頂くにつれ、段々正気に戻っていき、内面がいつの間にか静寂を帯び、白頭山のような神々しい状態に変わってしまった状態に、やはり、真はここにあった、と笑うよりありません。また今日は、いだき講座を受けている生命は体力があり、疲れにくい状態で生きていることを講座を受けていない人たちは知らない世界であり、人間とはそのようなものである、と、自分がそうだから相手もそうなのだというよに、決めつけてしまうことで、人の能力を奪ってしまうような表現をされることを経験し、講座を受けている生命はまるで生きている世界が違うということをもっと世間に知っていただくことが必要だと感じる経験がありました。本日も、ありがとうございます。

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文化の日
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京都コンサートホール 大ホールにて
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盛岡にて