KEIKO KOMA Webサロン

自由


このところ監査の出張とコンサートの日が重なり参加できない日が続きました。いつから参加できていなかったのでしょうか、久しぶりと感じたコンサートでした。一音一音が美しく身体の中に響きました。ピアノは音としてだけでなく、身体にこうやって働きかけてくれる事を再認識しました。ありがたい、と素直にそう感じました。演奏が終わった瞬間に、あゝ、自分の何がこんなに身体を詰まらせて何を背負っていたのだろうと考え、身体が自由に楽になったことを感じました。自由とは、を考えます。このところ監査先で様々なトラブルがあったり先方の都合で仕事が捗らない事が続き、どっぷり仕事をしようと決めた結果、身体のあちこちが固まり、リンパが詰まっていた事を想いました。ピアノで血液が流れ老廃物まで流れて行くように感じます。身体は正直で、いかに詰まるように仕事をしていたのかがわかりました。演奏中は全てが自由であり、この状態で例え牢獄に入っても心は自由なのでしょうと考えました。今年の7月で定年の年を迎え、管理職の肩書がなくなったからでしょうか、肩の荷が降りたように力が抜けました。物事の見方も変わりました。いのちにはたらくちからをピアノの音で経験でき、時に頭が振り子になる姿を見ながら、頭にある不自由さが解けていくのを自分の中にも感じ聴き入りました。
第二部の源、目覚まし時計で起きて時間で管理されている状態は源ではない事に頷くしかありません。内面で感知し、時も忘れて成すこと、とありました。ずいぶん昔には経験していたことでしょうが、今の自分には未だない事を感じます。第二部では自分の中にあってこれまで気がつかなかった事を想いました。身内含め、周りからは、私がどんなに事実を伝えてもそれを事実とは受け止められず、逆にこちら側が誹謗中傷をされ、不正や嘘を続けていた人が正、とされた事が多々ありました。仕事場でも陰では別の顔を持って悪どい事をしているのを見えていてもほとんどの人は分かりません。しかし数年、長いと10年以上経ってから嘘や不正が明らかになるケースが多いことを想いました。自分の中に微かにあった「何故自分が疑われなければいけなかったのか」という思いが湧き上がりなくなりました。イダキを受講してすぐから、余計なものが現象となり生きているうちに解決する連続です。身体があるうちに解決できる今、次の世代に残さないよう、ただそれだけを考えまだまだ、と感じます。
先月のアントレプレヌールサロンから長い年月が経ったかのようです。本日のアントレプレヌールを心待ちにしております。ありがとうございます。

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工房より
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狛江エコルマホールにて
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府中の森芸術劇場 どりーむホールにて