KEIKO KOMA Webサロン

自律と創造に向かう


 私は人やモノに感化されやすく自分を見失いやすいため、自分の深奥にいて中心におおいなる存在とつながり生きていなければ、何者かさっぱりわらなくなる節があることに気づきます。意志を世話する流れも、意志とは何を意志するかにおいて、今となれば杉並公会堂のコンサートの経験以降、試行錯誤の上、また変わってきており、14日の府中の森芸術劇場でのコンサートで、後ろ向き、否定的で何年か前に生まれたけれど中途挫折していたことが、真正面にやってきて、今後の道標となりました。素直に受け入れている自分が不思議です。そして、今日は、住まいは雨天決行の外壁の高圧洗浄の日であり、外壁が洗われきれいになった夜、府中の森ウイーンホールでのライブコンサートを聴かせていただきました。外も建物も私自身もコンサートで禊をしていただきましたが、一部の終わりは、今後のことに悲嘆にくれ終了しました。今年1/13の高句麗伝説で表されたバリトンサックスによる好太王さまの凄まじくそして超越した透明なエネルギーにより、世界一大切にしていた人との縁を切ることができ、なにもなくなりました。血縁ではなく、依存する関係、といったいみでのことです。おかげさまで身体が激変し、楽になったことは以外中の以外です。その人は子でありながら、依存となる人間関係はおおいなる存在と繋がらず、自らが作った重荷がそのまま返ってくるといった破壊と破滅であることは、身軽になり不思議と体調も良くなった生命が教えてくれました。人間はこういうことわからないで依存し合いながらずうっと生きているのかと思うと、真を分からないで依存しあい生きる関係において、病は蔓延っていくのも当たり前ではないのだろうか、と感じました。 

二部では、自身の肯定できない気持ちをおおいなる存在は受け入れてくださったので、自分も認めることができ、すると、気持ちも明るくなり、ひらめきも生まれます。一気に目的を遂げたい気持ちがせく癖がありますが、進んでいく状態をひらめきとともに豊かに広げながら、突き進んで行く道を着実に歩んでいく気持ちになりました。目標設定、と見え、なるほど、とフローに生きるとき魔が刺さないためにも、まずは目標設定なのだ、と見逃していた、と腑に落ち、さらに閃きもうまれ、コンサート前とは全く違った状態になれたことに感謝つきません
まるで、アントレのようなコンサートでした。 
コンサートを経験していなかったら、どうなっていたのでしょうと感じると、考えられません。
多くの日本人が、先生のコンサートに来られ、日本がなくならないように、豊かにしていきたいです。
コンサート帰りにいただけた、キッチンラボのお弁当は、ご飯の詰め方も量も気品があり、春のお魚、鰆がとてもリッチで美味しかったです。また、会場で購入しました、新五女山のドリップバッグも、粉も細かく弾いてあり甘くフルーティでやさしく、雨にうたれた五女山の土の香りってこういうのかな?と、東明王さまの住んでいた土地の香りを感じました。貴重なコーヒーをいただけ、ありがたいです。
どうもごちそうさまでした。

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お茶室にて
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オレンジとりんごのジュース。コンポートという名前だそうです。 ウクライナの続きです。
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NPO高麗 迎賓館にて