KEIKO KOMA Webサロン

自分とは


盛岡での存在論と高句麗伝説をありがとうございました。

存在論では、食べもので体が出来ていること、日本では、コメは聖なる食べものであることをお聴きし、自分は頭の天辺から足の爪先までコメ体質であることを自覚しました。

幼少期からパンを朝食とする家庭に育ちましたが、日本人ならではのコメとみそ汁の朝食に憧れていました。また、海外への留学時には、現地の食文化に慣れず、日本米に近い韓国米を入手することで、食生活の充実を図るなど、コメには随分と救われた経験をしておりました。

そのため、「コメは日本人のアイデンティティである」、
「コメ抜きの人生は考えられない」などと美味しいコメに飢えていた海外生活での経験も手伝い、コメを崇拝する気持ちが自分の中にあることを認めました。

また、コメと満足感の関係についても、例えばコメと肉の消化スピードに違いがあることもわかりました。

ご指摘のとおり、食べものに固定されず、自由にかつ健康に生きたいと思いました。ですので、少なくともコメを崇拝し神聖化することだけはやめようと、名残惜しいお米の神様との決別を決意いたしました。

ベトナムが要であり、将来におけるコンサート開催地の候補のひとつとして、その可能性も視野に入れていらっしゃることも印象的でした。

以下は、先生のお話しについて、自分が感じたこと、想像したことになりますが、現在、東南アジア諸国には世界有数のコメの生産国もしくは輸出国があり、ベトナムもその1つに含まれます。今後、世界で予想される急速な人口増加を背景に、もしこのまま、人間と家畜の食糧が競合すれば、東南アジア諸国などの食糧輸出国はその輸出をとりやめ、自国消費に回す可能性が考えられます。さらに、自国内でも食糧の供給量が不十分となれば、貧困層が食糧にアクセスできなくなる状況も予想されます。ただし、主食であるコメに十分な栄養が含まれていないことが周知されると、富裕層である権力者も自国の食糧生産や供給のあり方を見直さざるを得なくなると思われます。

そこで、タンパク質等を生産する食材工場のお話がでてきたものと想像します。それは、人間の生存に本当に必要な栄養を家畜の餌と競合しない方法で提供することにより、食糧の大量生産に伴う環境問題や、先進国や途上国の富裕層を中心とした肥満などの健康問題、十分な栄養の供給が危惧される世界的な食糧問題など、複数の地球規模の問題の解決を目指した、包括的なアプローチによる、計り知れないスケールの構想であると感じました。まるで、相手の力を利用して大きな相手を投げ飛ばしてしまう合気道の精神を想起させるような、奇想天外な発想力に、世界を相手にするビジネスとはこのように発想するものかと敬服いたしました。そして、仮に上記のような想像が必ずしも大きく外れていないとすれば、東南アジア諸国の中でも、とくに親日派といわれるベトナムでのコンサートのお話しにも繋がるものかと想像いたしました。

盛岡高句麗伝説では、人間の悲しみの歴史の中で隠されてきた、真の光、真の魂が現る時代であることが強く印象に残りました。とくに、阿弖流為ということばに、背中から頭にかけて震えが起こるなど、体が反応しました。

最近、東北の蝦夷や北海道のアイヌの精神や自然観が気になっております。狩猟型もしくは狩猟型と農耕型の複合的な気質をもつ北海道・東北地域の祖先の魂。その魂が再び現る時代において、かつてこの地域深く根付いていた精神や自然観をもとに新たな国が創られるとすれば、将来、そこから、新たな国創りのあり方が世界へ発信されるものと想像します。

世界も視野に入れながら、北海道・東北地域において、今後、自分は何をするのか、どのよう能力を身につけるべきか、改めて問い直したいと感じました。

ありがとうございます。

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