KEIKO KOMA Webサロン

第一にすきなこと


府中の森コンサートのあった19日は、府中である用事をすませその足で会場まで歩いて行きました。会場まで歩いていく中で、内なる気持ちの変化と気持ちは、生きていてもしようがない、といった疎外された気持ちと、それとは反対に、生命が向かいたいからコンサートに行きたいの、という気持ちを胸に、コンサートに行く意味は何?とまた生命に問う自分がいて、ひたすら問答を繰り返すのです。がはっきりと得ている答えは、理屈はない、生命は向いたい、と頭は言うのですが、なぜコンサートに行くのか、とまた、問うと、モヤモヤした答えが見つからないヘンテコな状態で滅入ってしまっていました。そのうち疎外されまくり、大変になり、コンサートまで時間があったので、カフェに入り、目の前にある雑務をノートに整理していましたらかなり元気になってしまっていたのでした。街の空間は疎外エネルギーに満ちており、自分が一瞬でもそうなると同化し飲み込まれてしまう傾向に入りがちです。人はこうなると、抜け出し口がなく、生命を断ってしまうほどになってしまう人もおられるのだな、と、位前にもまして自殺者が多くなっている世の中のことを感じました。また、頭の中であれこれやるより、事実関係を整理して先を作る動きをしている方がよっぽど元気になると、日々驚くほど納得しています。
コンサートの第一部のメッセージをお聴きすると、まさにそうであると、手を打ちたい自分がいました。きもちがあって、好きでやりたいことが、一部と二部の演奏を通して、やはりそうであったと生命でわかり、ともにある魂も、ひたすらそれがやりたいことと、いだきに出会ってからの自分の行動を振り返っても第一のことは、先生のコンサートを人に伝え人の生命が助かることをすることがそうなのです、と認識します。
一部の演奏では頭の中の骨に音が振動しほぐしてくれているようでした。中にはものすごい不思議な音が演奏され、頭の中の組織をめくりその隙間にいくつかのものを注入してくれているような感じでした。二部では、内面に集中しやすくなり、深い内面に以前よりも生きられるようになり、とても嬉しいです。宮本武蔵野の「水の巻」の中にあったある生き方が、生きていく道標となっています。そのように生きれるようになりたく、日頃、注意を促し務めるようになってきています。深く内面に繋がり生きている状態では、内面で世界が動いていることが今回感じられ、内面の変化か宇宙に通じていることで、宇宙が変わることがこの世の中も変わってくると感じました。
 二部の終わりは、ほんの一瞬でしたが、その、ほんの一瞬はものすごいエネルギーに満ちていて、垣間見た世界は、天明るい青空、太陽の輝く楽園のような光景であって、目が真ん丸になった状態で、驚きのまんま、演奏が終わりました。
今日のコンサートなくしては、先が拓かれず、また、人生の道のりにおいても、今となると、自分一人がやっているのではなく、ともにある魂が過去やれなかったことを生命ひとつとなり、今世、させていただいているのだとわかってきますと、このような奇跡の人生、感謝に尽くせません。最近は朝目の覚め方がいつもと違い、聖なる空間を感じすっと起きられています。今日のコンサートも、どうぞよろしくお願いいたします。とんでもない開催を、心よりありがとうございます。

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