KEIKO KOMA Webサロン


京都コンサートホールでのコンサートをありがとうございました。
京都のコンサートの日、高麗屋さんの幻のKogryoCafe に伺うことから始まりました。高麗さんに詩を書いて頂くこの上なく稀有な機会は、回を重ねる毎にその経験が深まってきています。過去においては戸惑いや抵抗により、高麗さんにご負担をお掛けすることになっていたとお聞きし申し訳なく感じておりましたが、現状をわかり認めコンサートに臨む事で、真摯に自らと向き合い前に歩み出していける大変ありがたい機会となります。活かしていくことと考えます。
コンサートの第1部のピアノは、途中の曲調が変わった辺りから抗いきれず一瞬意識が遠のきましたが、その間も内側からひとつひとつ要らないものが空間に吸い込まれていき、きれいになっていました。それは第2部でも続き、過去においての憂いや痛みとなるものにより刺さったトゲのようなものが取れていき、楽になりました。欠けたところは補われてきれいなまん丸のやわらかいボールに修復していただいている体感でした。
パイプオルガンの響きは、強い音が通り抜けたところを中心としながら全体的に内側が押し広げられていくと、内の明るさが強くなり透明感が増していきました。淡い色合いの光がいつもと少し違って感じられたのは、お席の加減か音の響きが違う感じがしたからなのかもしれません。
ものすごく繊細でありながらもゆるぎない愛が注がれつづける空間で、私自身のうちにもひとしずくひとしずく着実に浸透していき、深く大きな愛、優しさが満ち、あふれ、この身は空間とひとつとなっていました。こんなにも純粋で無垢なまあるい私であることに驚きながらも、全体とひとつである状態であれば当たり前であると認められ、慈悲深く大きな宇宙の愛の状態となりました。女性を感じる神様のような存在とひとつと感じられた時、なんて畏れ多いことと一瞬考えましたが、感じるまま至福感の中に身を任せていました。
アンコールの演奏では、皆で助け合いたのしく生きている情景の中、一緒に仲良くお食事をしている幸せな様子が空間に映し出され、高句麗の愛と言葉となりました。こんなにもしあわせであることに感謝し涙する時、コンサートに於いていつもこの幸せを享受しているだけでは申し訳なく感じた時、この場を…との言葉となり、稚拙ながらもようやくこの表現ができたことにいのちの奥からの喜びうまれます。あふれる涙は内なる魂のものでもあります。言葉は礎となりそこから先が拓かれて来ました。新しい流れに向かう起点となるコンサートをありがとうございました。

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仙台にて
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岩手銀行赤レンガ館にて