KEIKO KOMA Webサロン

真の人間


三鷹の風のホールでのコンサートを楽しみにしていましたが、今日も体が痛み、痛みに気を取られていくことが情けない気持ちでした。メッセージは言葉からも幸せを感じました。

「いのちの幸せ」

「生後、すなわち生まれた時に、幸せにつつまれてすくすくと育っているでしょうか。「いのちの幸せ」といえば「いのちのちから」と同様に我々を超えた存在からはたらくちからがいのちと一体化して「いのちのちから」になります。「いのちの幸せ」とは同様のことです。「いのちのちから」と「幸せ」は同じことです。「幸せ」を少しでも奪われたら「ちから」が弱まります。「幸せ」がどんどん失ったら、生きることははなはだ困難です。現状はどうであろうが、幸せで生き、幸せを実現するように全身全霊取り組むことです。本来あるべき姿の人間の証明でもあります。「いのちの幸せ」

最初からただならぬ音に一気に神々が降りてきたことに圧倒されました。初めて感じ、経験する神のはたらきに驚くばかりでした。空間にある汚れも邪も有無を言わさぬ迫力をもって一掃し、祓い浄めていくはたらきに唖然とし、立ち止まってしまったように、椅子に座り、動けなくなりました。神のエネルギーが強くなればなる程、身の置きどころがなく、体の内にある過去に戻る傾向や、解決、精算できていない止まっているものが痛みをもって教えてくれ、自覚しました。そのうち、激痛となり、どうにも座っていることが耐えられなくなりました。何が起こっているのか、わからずに途方にくれましたが、神現れ、とてつもないエネルギーの中で、この世を一掃し、生命が傷つかずに生きていけるように、生命が輝き生きていける空間を作る為に神様が総動員し、全勢力を持って先生とひとつに闘い、新しい世界を創造してくださっているエネルギーの只中に痛む身を必死になって居させていただきました。20分後の演奏はアリラン的でした。それも大陸的とは歴史的とかを超え、宇宙的でした。宇宙丸ごと表現し、変えていく迫力に満ち、圧倒されました。大好きなアリランの魅力的な素敵な演奏の只中に在り、演奏からあらわるダイナミックでロマンチックな宇宙に通じる広大な内面で生きていきたいと望みながらも身が痛くて動きが鈍い自分はこのままいけば大きく外れていくと感じました。必ず今日のコンサートでおおいなる存在あらわる時代を生きる生命を身につけていきたいと切望しました。計り知れない存在からのはたらきかけに満ちている今、生命は幸せを経験しています。終わった時はただただ「すごい」としか言葉が出ずに何かとてつもないことが起こり、どうしてよいかわからない状態でした。これ以上のエネルギーがあるかと頭を垂れるよりない圧倒される神々、おおいなる存在のはたらきかけを見ました。興奮状態のままの第2部へと向かいました。

「聖」

「「聖」一文字で日本酒の清酒をあらわします。濁酒は「賢」をあらわします。聖人と賢人は違います。賢人はあくまでもこの世の世俗の中での能力が高い人のこと。聖人とはどのような人のことでしょう。世俗にありながら、必ずしも出家していることを意味しているわけではありません。世にありながら消えることも絶えることもない「いのちの光」をもとに生き活動する真理。まこと。愛」

「聖」は日本酒の中の清酒を表すとは驚きました。聖人と賢人の違いも初めて知りました。たいへんわかりやすい例えでした。身を任せ演奏を聴かせていただくと、別次元に身をおくことができ、とてもやすらかで心地よいのです。ふと清酒の香りが漂い、なんとイエスキリストが清酒を召し上がっていると錯覚する場面が見えました。やさしいのです。この御方こそ、真の人間と生命でわかります。イエスキリストをいつも対象化し偶像崇拝していたと初めて気づきました。ふと私の内面に風のように感じた存在は、私の生命とひとつの存在でした。対象化し見る存在ではありませんでした。「世俗にありながら必ずしも出家しているわけではありません」と表現された状態がよくわかりました。世俗のど真ん中で生きながら真の人間とし存在されておられます。世俗にはまらないように気をつけている自分など、なんと愚か者でしょう。恥ずかしい限りです。自由であり美しく、今日のメッセージの「聖」清酒をそのままわかる経験をさせていただきました。聖も対象化していたら延々とわかる時はきませんが、先生が表現してくださるので生命の内のこととし経験させていただける幸せに深く感謝します。気づけば痛みを意識する意識はなくなり痛むとか痛まないということが意識にのぼらない状態となっていました、痛みはなくなっていました。激痛がなくなることの凄さを経験し、やはり先生は「すごい」ということは生命をもってわかりました。対象化する意識は居場所がなくなる時が来ました。先生がずっとコンサートにて、即興演奏してくださり、やっと聖を生命でわかり、イエスキリストを生命で解るときが来ました。真の人間を生命でわかる時がきました。なんという恵、幸せでしょう。夢のようです。神々もイエスキリストも先生とひとつです。先生のあらわれとも見え、生きてこの経験をさせていただいている事実を受け止めなさいとどこからともなく聞こえてきます。

アンコールの時に皆で拍手をする時、手と手の間にチューリップの花が見え、花の香りがし、微笑みました。拍手をすると、空間には生命の花が咲きはじめ、とても華やかです。微笑ましく、ぬくもりあるアンコールのひと時も素晴らしかったです。今もとんでもない所から帰ってきた感覚があります。コンサートを経験した生命はすでに次元を超えた世界で生きる生命となっています。大変な経験をさせていただいています。活かしていくことが答えです。ありがとうございます。

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三鷹市公会堂 光のホールにて
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三鷹市公会堂 光のホールにて
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三鷹市芸術文化センター風のホールにて