KEIKO KOMA Webサロン

生命ひとつ


毎夜、遅くまでやることが多く、今朝もマーブリングをする為に身支度をしている時、このままずっと眠っていたい思いが浮かんだことが気になり、このような生き方は変えないと、この先は生きていけないと考えていました。雨の中をお茶室までの短い距離を歩いているだけで、元気が出てくるのに、頭がおかしいと生きていく力を自分でつぶしているのだとしみじみ感じた朝でした。

比叡山の水は清らかで美しいです。マーブリングをした反物や生地まで美しく透明感にあふれ輝いています。私の心も生命も正に水に洗われたように気持ち良く、清々しい体感がとてもうれしくありがたいです。今日は、NPOいのちのデイーサービスのカーテンやユニフォーム等を染め、まだ会場も決まっていないのに、パリで展示したい着物の反物を染めました。全て終わり、数枚残っている衣類を染めようとしたところで豪雨となり、とても染まられるものではありません。それでもスタッフにテントを運んでもらい、最後の一枚を染め、無事に終わりました。いつもながらお天気は味方してくれます。いつもあり得ない偶然を経験させていただきます。この経験があるので、デイーサービスもカフェやご自宅につけてくださっているカーテンも未来を拓く為にお役に立てると感じられとてもやりがいを感じ、愉しくマーブリングをさせていただいています。今日も心惹かれる程清らかな模様が映し出されていました。豪雨の中をびしょ濡れとなり帰宅し、あまりのすさまじさに笑いながら歩いていました。

「死について」の講演会は、いつも凄い経験をさせていただきます。先生の講座は全て凄いですが、今日も素晴らしい経験となり、感謝よりありません。冒頭に、どんなに良い経験をしても自分の解釈で捉えているので、また元に戻っていくとお話いただき、自分の言葉を壊せとのお言葉は心に沁みました。先生は自分を全て否定し、壊したとの経験もお聞きし、グループワークでのお話から言葉の出何処を突き詰めていくことは必要なことであると考えました。約一時間というもの、ずっと靄がかかったような状態でした。最初はマイクの調整の問題もあったかも知れませんが、声までくぐもって聞こえ、穴の中に居るような体感でした。ある時から靄は消え、空間が澄み渡り、先生のお話がダイレクトに生命に染み渡り聞こえてきました。先生のお話されている内容とは違うようにも考えましたが、私は今朝、ずっと寝ていたいと思った自分のことを考えていました。同時に、亡き兄のことを考えました。明日死ぬかも知れないという知らせを受け、生きているなら会いたいと、夢中で入院している病院に行ったのです。その前に先生に兄の容体をお電話でお伝えさせていただきました。兄はとても喜び、「よう、20年ぶりだな」と、とびきりの笑顔で迎えてくれました。それから奇跡が起こりはじめ、もう一度四季をみたいと言っていたことが叶い一年生き延びてくれました。先生に受容され、生き延びることができました。私は余命は聞いていましたが、先生につながり生きる兄は永遠に生きると思い、死に向かっていることは全く思わなくなり、接するようになりました。このことを考えながら先生のお話をお聞きしているとちょうど先生はまもなく死ぬからとやたら丁寧に接せられたら、気持ちが悪いだけとおっしゃいました。胸撫で下ろしましたが、このようにほっとするのも自分の為と気づき、このような自分の状態を変えないと人間とし生きていけないと気づきます。私は父母や兄の死、親しい方の死を考える時、正確に言葉に表せないのですが、どのような気持ちで死んでいったのかを考えてしまうのです。そのように考えても自分の解釈にすぎないと気づくと淋しくて虚しくて生きていくことが辛くなってしまいます。先生のように死ぬ時も生命ひとつでわかる人間となりたいと切望します。死に接する時、人間は在るがままがあらわるとお聞きしています。普段の生き方がそのままあらわるということが見えるようにわかりました。その時、今朝のように、朝目覚めた時から、頭と心の対話と自分では表現してしまうのですが、自分の心に問いかけ、語りかける頭があるのです。心のままに生きれば良いとわかっている頭は何を基準にしているかわかりませんが、正しいか否かをジャッジします。いつも自分を見ている自分がいて、自分をジャッジし、間違いを正そうとします。自分のことを対象化し見ている限り、死に際しては人間ではないことが明らかに浮き彫りとなります。先生のコンサートでは全てとひとつである生命を体感し、生命に反する意識もなくなります。時々、自分が何者かも忘れ、何処で生まれたかも、今何をしているかも名前までも忘れることがあります。最初は愚かな頭は認知症のはじまりかと心配までしたのです。が、この時が最も心地良く、幸せを感じるのです。全ての生命とひとつであることは自分のことも他者も動植物も対象化し見ることはないとわかります。そして先生が即興演奏により顕してくださることこそが求めてやまない「人間とは何か」の答えであり愛であります。自分が「今」を生きていければ死に際して、解釈もなく、人間とし生き、死を迎えていけるとわかり、そう生きれるように講座、コンサートの機会に恵まれていることに心からの感謝と生きる希望が生まれます。どこで何をしようとどこまでいっても人間とし生きることが人間なのです。いつも朝目覚めた時に自覚し嫌になっている自分の心を見、心と頭の対話をする間もなく「今」を生きることを目指します。

応用コースの会場の席に座った時、ふと思い出したことがありました。数年前の京都での応用コースの日に東京のいだき本社に殺すぞという電話が入ったという報告があり、スタッフが私の心配をし、一人では歩かないようにと気遣っていました。ちょうど買い物に行くところでしたが、心臓に黒いものをかぶり、苦しくなり、不安に襲われました。今日は、あの時は心臓が痛くなり不安を感じたけれど、今であれば不安などは感じないとわかり、変われたことに感謝していました。先生のお話をお聞きし、知能が上がったのだと気づき、喜びました。日本人は知能指数が高いことをアントレプレヌールサロンにてお聞きし、15日、16日に狛江で開催しました「高句麗伝説」は知能を上げると先生は宣言し、迎えたのです。知能が高い日本人は更に知能が上がる高句麗伝説を経験し、此で行くと先生がおっしゃると喜びあふれます。今まで関心を持てなかったことに関心を持てることは知能が上がっていることとはうれしいことです。知能を上げない一番のことは恐怖とはうなずきます。ふと思い出していた脅しの電話から心臓が黒くなり不安を感じたことも知能が上がれば、答えを出していけますので、不安も恐怖も感じずに生きていけます。この度行くことになりましたパリは不安と恐怖の渦の中にあり、先生は喜び渦のど真ん中に入り込むとおっしゃいました。私も足がすくむこともなく、そのまま受け止めていけました。このような状態も知能が上がった故と感謝します。しなくてもいい心配をし実態がわかれば不安や恐怖を感じずに生きていけるのに、わからぬが故に恐怖を感じ、身動きできない生き方になっていくことは人間の生き方ではないともよくわかってきました。

今日、ニュースを見ている時に世界の国家元首が写っていました。私から見るとエロスの神がはたらいておられると見える某国の元首を見かけた時には大変驚きました。国家元首にエロスの神がはたらくのであれば、今後世界は予想外に拓かれていく可能性が高いと感じ、希望を感じます。誰とも闘わずに、人間の内面が豊かに愛に満ちる表現をし続けてくださり、根源解決への道を創ってくださり、平和な世界を創る先生のお働きに感服し、奇跡を見ます。その奇跡に関わらせていただける人生を生きていることには無上の喜びと感謝が生まれます。

隠れ震源地が動き、地震が起きたことをお話いただき、15日の前に言い知れぬ心配をしていたことの中身が見えました。原発が爆発する光景が見えてならず、言いようのない不安を感じていました。隠れ震源地の上に原発が創られていることを知り、見えていたことは本当のことであり、それが故になんとかしないといけないと本気で考え、コンサートを満席にと取り組んできたのだとわかりました。これからも本気になり根源解決への道を創る先生のコンサートを開催し続けていくことに取り組んでいきます。

帰宅し、NPOいのちの入り口に展示します心模様を描きました。建築の先生からのご依頼があり、喜び引き受けさせていただきました。自分では生命のままに描け、喜びました。今日の先生のお話を思い出します。自分達は良いと思ってやっていても人はどう思うかわからないけれど、まずは自分達が良いと思うところからはじめるとのお言葉を心の中で繰り返し言っていました。ここからはじめるということが喜びと感じ、感謝の気持ちで愉しく描くことができました。喜びと感謝の気持ちでさせていただけることは何よりありがたいことであります。

今日となりましたが、迎賓館でのコンサートがありますことも希望です。ありがとうございます。

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