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生きる


意識が飛んでいるような状態だったとおもいます。都合の悪いことも解放される。ぼーっとしていたら気づかないのでは、というほど僅かな囁きにも似たような感じでしたが確かに内から聴こえたのです。都合の悪い、って?解放される?考えるまもなく聴こえたと感じた途端に一部の演奏が終わりました。

二部は一部とおなじメッセージをお聴きし、これほどの時を迎えていることに畏れを感じ、思わず、こわい、と声にならない声になり二部がはじまりました。

先生の演奏は何処までも留まらずピアノの鍵盤は鳴り続け、いつしか聴いているという感覚は遠のき、先生の超スピードに乗っていきました。自分の有り様がみえていきます。自律とは程遠く、ちゃっかり人の善意によりかかりながら自分自身を活かしているかのように都合よく生きている様が見えていきます。そうだよね、子どものときから妹に面倒をかけながらちゃっかり生きていたよね、と見えていきます。色々気にかかることもその中心は自律しないでも生きてこれた自分自身にあることをわかっていけます。それでも中心からは生きるという言葉がずっとピアノの超スピードのなかから生まれ続けていることに気がついていきました。永続という言葉があるのを初めて知りました。様々な日常や今までの自分の生き方が見えるように内から現れていくなかで、永続は愛とわかっていけることもありました。情熱が湧き起こり、チカラになり、自我から自己になっていきます。一つと決めないでいいことを自らわかり、一つではないことを本当にわかると生きるという言葉とおなじになっていきます。最高な生命であり最も幸せな状態です。そしてコンサートの経験は大事にそっと持って帰るものではないと感じると、今までコンサートの経験を大事にしまい込んでいることがわかって来ました。大事なものは直ぐ仕舞い込む癖そのもので生きていたことがなんだか笑えます。
自己があれば自律でき、生きる喜びは枝が四方八方に伸びていくようになんでもやれること。そして永続していける生き方は真の希望と喜びが生まれていました。

2021 “ 年、初めのコンサートをありがとうございます。

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